NGM+その他の欲望

日々のサムシングについてのスクラップブック。

ゲームを終わらせるということ

・ken's blog | master of epic で投身自殺が流行
 先日βテストが始まったハドソンMMORPG、通称「MOEpic(萌えピック)」ことMaster of Epic。高い所から落ちるとダメージを受け、しかもマップ上のいたるところに落下しがちなポイントがあるので墜落死する人多数、というお話。しかしこの記事のタイトルを見たときに私が想像したのは、投身自殺がシステムに実装されたMMORPGが出てきたのかーということだった。まあよく考えりゃあ、そんなことあるわけないんだけど。
 なんでそんな妄想を抱いてしまったかといえば、ここ最近、「ゲームを終わらせる」ということについて漠然と考えているからだ。


 ゲームの側が用意している終わり……つまり「ゲームオーバー」は、近年のゲームでは曖昧なものになってきている。トラディショナルなタイプの「ゲーム」は減少する一方なので、「ゲームオーバー」画面にお目にかかることも少なくなってきた。いまやシューティングと一部のアクションぐらいのものだろう(そういえば、敵を倒したときに、その敵のスコアがポップアップするようなシーンを最後に見たのはいつのことだったろう?)。RPGやADVなどストーリーでゲームを進めるタイプのゲームには、「エンディング」という終わりが一応設けられているけど、それだって2週目以降のレアアイテム探しやアナザールート探しのための折り返し地点だ。
 とにかく、近年のゲームはユーザーの飽くなき要求に応えて、何らかのボリュームアップを指向している。アイテムが大量にあったり、キャラクターの成長を自由にカスタマイズできたり、隠しシナリオがいっぱいあったり、やりこむとシークレットキャラやシークレットカーが使えるようになったり、その他いろいろ。だから「ゲームオーバー」画面なんかにはめったにお目にかからなくなったし、ゲームの側が用意したすべての要素を味わい尽くすには膨大な時間がかかるようになった。現代のゲームでは「ゲームの終わり」をプレイヤーに気取られないようにすることがひとつの命題になっているわけだ。5時間や10時間程度で底が割れるようなゲームじゃあ、ボリューム不足のそしりを免れない。今の時代、6,800円という値段に見合う内容とはつまりそういうことだ。
 それが最も先鋭化しているのはMMORPGに代表されるネットゲームで、月々の課金で儲けていくという現在のビジネスモデルをとり続ける以上、ゲームの側が「終わり」を用意することは基本的にない(「終わり」が宣言されるということは、サービスが終了し、そのゲームが永遠に立ち上がらなくなるということだ)。例えばエピソードの分割配信だったり、●ヶ月ごとに初期状態に巻戻ったり(ex.『ガンダム・ネットワークオペレーション』)などの違いはあれど、基本的には「永遠に続く」、「限りなく拡張される」ことを指向している。もちろん永遠にサービスが続くわけはないのでそれはただのお題目だが、これらのネットゲームこそ、プレイヤーに「ゲームの終わり」を気取られることを最も恐れていると言えるだろう。


 そんな、「なかなか終わりが見えない」「終わらない」ゲームの中で、プレイヤーが自主的に「ゲームを終わらせる」というのはどういうことか、というのをぼんやり考えているのだ。
 もちろん多くの場合は、十分楽しんだしここらへんでいいか、とか、難しすぎてこれ以上は無理、とか、あるいはただなんとなく飽きて、コントローラを放り出し、テレビなりモニタなりの前から立ち去る(そしてソフトはしまわれる)というのが、「プレイヤーがゲームを終わらせる」ということだ。それでぜんぜん問題はない。
 ただ、なんだろう、もう少し能動的に、且つスマートに、ゲームの側ではなくプレイヤーの側から、「ゲームを終わらせる」という行為ができないのだろうか、できるとすればそれはどのような形においてだろうか、ということを考えるのだ。どうしてこんなことを考えるのかといえば、別に何か形而上学的な理由や高邁な理想があるわけじゃなくって、十分なプレイ時間を取れずに途中で(なんとなく)終わっているゲームの山に対する罪悪感とか言い訳から始まっている。なんとなーく「終わる」からいけないんであって、すぱっと「終える」ことができるなら、それもまた別のゲームオーバーでありエンディングなんじゃないかなーという、まあ何にせよあまり褒められたもんじゃない態度から生まれた発想ではある。


 そこで冒頭でリンクした記事だ。
 見出しだけ読んで、ストーリー的な「終わり」がないMMORPGで、プレイヤーが自主的に「終わる」ことができる方法……「自殺」をシステムとして実装したゲームが出てきたのか! というかなり不謹慎な妄想を抱いてしまったのだ。モンスターやPKに殺されるのではなく、自らの手で選ぶ「死」。たぶんそれは、そのゲーム内の他の要因による死よりも重い意味を持つだろう。あるいはもしかして、懐かしの『完全自殺マニュアル』のような、ゲームシステム上の「リセット」くらいの意味しか持たない死なのか……などなど愚にも付かないことを。
 まあただの勘違いだが、ちょっといろいろ考えてしまったよ。この話についてはまたあとで続ける。たぶん。