NGM+その他の欲望

日々のサムシングについてのスクラップブック。

落書きの速度

 MSN Messengerが7.0にアップグレードして、いろいろ新機能が使えるようになってた。さっそく導入。あーお絵描きも簡単にできるようになってるんだねえ(前からかもしれないけど)。


 ところで、お絵描きと言えばNDSピクトチャットだ。今回Messengerのお絵描きをしてみて、ちょっと気になったことがある。
 ご存知のように、ピクトチャットでは描いた絵やチャットのログは保存できない。流れていくのにまかせるのみだ。おまけ的な内蔵アプリなのでそこら辺は割り切ったんだと思うが、実際に遊んでみるまでは少し不満だった。
 だけど、ピクトチャットを多人数でやったことがある人ならわかると思うが、ログが残らないということが、絶妙な「描き飛ばし」感覚を生んでいる。まさに落書き。NDSのちっちゃいタッチスクリーンと使いづらいタッチペンではどの道たいした絵は描けないが、どうせ消えるんだからという気持ちが、いい年をした大人に本当にばかばかしいポンチ絵を大量に描かせる。おまけに他人の絵に付け足して描くこともできるから、上画面を流れていく落書きは加速度的に頭の悪いものになっていく。速度こそがすべて。他の人が描いた絵で流されないうちに、もっともっと知能指数の低い落書きを。
 もしもNDSの内蔵メモリにピクトチャットで描いた絵が保存できるような仕様だと……もちろんそれはそれで便利かもしれないが……あの書きなぐっていく感覚はちょっとでないんじゃないかな、と思う。確か宮本茂も、雑誌か何かのインタビューで「落書きは残すものじゃないからピクトチャットのあの仕様は必然的なもの」という趣旨のことを言っていたと思う。


 で、気になったのはこの「描き飛ばし」感覚が通じるのは、チャットしている者同士がお互いの顔を見ることができる距離にいるからなんじゃないか、ということ。すぐ近くにいて直接顔をつき合わせて話すこともできるから、落書き帳を見せ合うようにピクトチャットができる。稚拙な絵だけで伝わらない微妙なニュアンスや空気は、直接相手に言葉なり顔の表情で伝えればいい。
 もしもこの先、NDSホットスポット経由でインターネットにアクセスできるようになって(もちろん、任天堂が公式にサポートする場合のことだ)、ネット越しに遠くの見知らぬ人とピクトチャットができるようになった場合でも、「描き飛ばし」感覚っていうのは生きてるんだろうか? 描いているあいだは「描き飛ばし」ているつもりでも、チャットを終えたあとにお絵描きのログを保存したいという欲求は、現在よりもずっとずっと強くなるんじゃないだろうか。顔の見えない相手とのコミュニケーションの記録は、なんとなくそのまま消してしまうのが憚られるのではないだろうか。


 以上はごく感覚的な想像で、特にこれといった根拠があるわけではない。でも、もしそうなったとき、私ならログの保存をしたくなるだろう。「描き飛ばし」のスピードも落ちて、もうちょっと慎重に描くようになるかもしれない(絵心がなかったとしてもだ)。この記事の冒頭に貼った私の死ぬほど絵心のない絵だが、これもログを遡っていくと、一番最初に描いたのは「萌え」という手書きの文字(最初に描くのがそれかよ!)で、次に黒一色でさらさらと描いたどーもくん。で、このどーもくんがうろ覚えで描いたのでぜんぜん違う物体になってしまい、わざわざGoogleの画像検索でどーもくん画像を検索し、それを横に置きながら、インクの色を変え、ペン先の太さを調整して模写するという手間をかけるようになった。その結果がアレなのはまあ措いておくとして。
 あ、ちょっとこれ、やってることは似てるのにピクトチャットとは違うぞ、と気づいてスクリーンショットを撮ったのだが、だんだん手間をかけるようになっていくのが、どんどん書き殴っていくピクトチャットとは正反対の感覚だ。
 もちろんピクトチャットでも、手間をかけた絵をやり取りしたことがある人はいるだろう。去年の12月末に書いた「冬コミをワイヤレス通信の巨大実験場として考える」という記事の流れで、絵描きの人たちがピクトチャットをしている写真をいくつか見たが、そこで流れている絵の中にはNDSで描かれたとは思えないような手の込んだものもあった(もしかしたらあれでも書き殴っている感覚なのかもしれないけどね)。だからこれは個人的な経験による感想以上のものではないんだけど、ピクトチャットのあの素晴らしくスピード感溢れる集団落書きは、ちょっと独特のものなんじゃないかな、と思うのだ。