NGM+その他の欲望

日々のサムシングについてのスクラップブック。

スクリーンショットだけで決め付ける俺は鯛のおかしら

 最近のゲーム関係のニュースで驚いたことといえば、『MOTHER 3』スクリーンショットの素朴っぷりだ。GBAでの開発が伝えられたときから、たぶん『2』が正当進化したような見た目・内容のゲームになるんだろうなとは予想していたけれど、なんというかこれ、予想をはるかに上回る素朴さじゃあないだろうか。『2』と同じにしか見えない。
 N64で開発されていた旧『3』(『〜豚王の最期』)は、90年代中頃のいわゆる次世代機戦争時代の共同幻想――「フルポリゴンによる3Dの箱庭世界で自由になんでもできる」的なもの――に囚われた結果いつまでたっても終わりが見えず、とうとうプロジェクトが中止になった、という経緯があった。詳しくは『豚王の最期』発売中止時の糸井・岩田・宮本鼎談を参照のこと(樹の上の秘密基地。: MOTHER 3 〜待っていてくださった皆さまへ〜)。

岩田:
あと、自分で作りながら思ってたんですけれど
これまでゲームを作ってきた
いろんなチームがあったなかで
糸井さんという、もっとも言葉に関して
特別な能力がある人がかかわるチームが
3Dの世界でゲームをつくることに
どれだけこだわるべきだったんだろうか?
と、じつは、ものすごく思うんですよ。
去年の秋にポケモン金・銀ができたころに
まあ、ポケモンってゲームボーイのゲームですから
とうぜん3D表現なんてしなくって、
2頭身のキャラクターが
よくない表現で言えば「ちょこまか」と動く。
じゃあ、それはつまらないのか、
といえば、ぜんぜんそんなことはないし、
『MOTHER 2』を見かえして
糸井さんの書いたセリフを読むとね、
自分たちがものすごいエネルギーをかけて
3Dで実現しようとしていたことの意味、
っていうのが……まあ、あのときは
糸井さんも私も病気にかかりましたから、
3Dであるべきだ、
3Dでなくてはならないのだ、
って思っていたけれど、
いまもう一回、今の自分が
「糸井さんが新しい本を書いた」
と聞いたとき、そこ(3Dにするか、ということ)
すら考えなおしてもいいな、と、
ものすごく思いますね。
ありとあらゆるところにエネルギーをさく、
というのがたぶん『MOTHER 3』のやり方で、
それはもう、今や、非常に困難になってきている。
じゃあ、エネルギーをさくのはどこだ?
と決めてつくらないと、短い時間で鮮度が高いものに
商品として完成させられない。
あのときは、MOTHERというのは
メジャー感がテーマの商品だったし
制約が解き放たれた、というのがあった。
制約なしでつくるというのがコンセプトだった。
 
糸井:
「なんでもできるぞ!」って。

 このときの反省もあって、ここまで素朴な「スーファミ時代のRPG」以外の何者でもないグラフィックを選択したのだろう。そこから類推して、ゲーム内容も「スーファミ時代のRPG」を順当に拡張・洗練したものになるんだろうなあ、ってことは、あのスクリーンショットを見た人の多くが感じたに違いない。
 で、たぶん『MOTHER 3』を待ってる人の多くは、「スーファミ時代のRPG」的なものをこそ欲しがっていて、別に64時代に構想されたような、糸井重里言うところの「なんでもできるぞ!」的な革新はこれっぽちも求めていないんじゃなかろうか。今回のスクリーンショット公開に対するweb上の反応を見ていても、そう感じる。僕個人も、64時代の『MOTHER 3』が頓挫した際に公開された開発途中のスクリーンショットhttp://www.1101.com/nintendo/nin13/nin13_14.htm)を見たときにまったくピンとこなかったことを思い出した。確かに3Dで、すべてがポリゴンでできていて、でも、それで? というような肩透かし感。『MOTHER』なのかなあこれ、といった違和感。それは当初発表されていたタイトルロゴやサブタイトル(『キマイラの森』、『豚王の最期』)にも感じていて、いやまあ、『ギーグの逆襲』ってのもなんか微妙にはずした(わざと?)サブタイトルだったけど、『豚王の最期』ってのはまたすごいとこ突いてくるな、なんかこう、別に『MOTHER』に王道RPG的なものを求めているわけじゃないけど、だからって急に純文学書き下ろし長編1000枚的なタイトル付けられても困る。ああ話が逸れた。
 誤解を恐れずに言うなら、『MOTHER』の続編に対して我々が求めているのは、「幸福なスーパーファミコン時代」という幻想の再現でしかないのじゃないかと。プロジェクト復活後の『MOTHER 3』が選んだプラットフォームがGCではなくGBAだったところも象徴的だ。DSでさえない。一昨年のファミコン20周年記念をきっかけに巻き起こった「ファミコン」ブーム、その頂点たる『ファミコンミニ』シリーズ以降、GBAというのはある年代以上の(元)ゲームファン・ゲーム休眠層にとって、ソフィスティケートされた幸せな幼年期を想起させるハードだ。FC時代のノスタルジアゲームボーイミクロファミコンカラーまでであらかた回収した。では次はSFCだ。SFC時代のノスタルジアはまだまだ意外と開拓されていない。一方でMD時代のノスタルジアはずーっと前から何度も何度も掘り返され続けていたのとは正反対だ。我々は「スーパーファミコン」を懐古したい欲求を持て余している。持て余している? いや、そういう欲望はまだ開発されていないのだ。マスター任天堂は奴隷を焦らすのが得意だから。ええと何の話だったか。
 だからどうも、GBA版『MOTHER 3』ってのは作りづらかったんじゃないのかなと。特に「なんでもできるぞ!」的な創作妄想が広がった末に頓挫した64版を経たあとだと。期待に応えるというか、期待するものに落とし込むという作業は。どうなんだろう。
 と、スクリーンショットだけで妄想の翼を逞しくしてもしょうがないか。始まってみたら、見た目に反して思いもよらないものになっているのかもしれないし。あんまり与太を吹き上げるのもよくないだろう。
 ところで、最近見たスクリーンショットで驚いたものがもうひとつ。
・BOMBERMAN Act:Zero
 Xbox360用のボンバーマン最新作。いきなりシリアスに、サイバーに、ちょい悪っぽくビルドアップされた新デザインのボンバーマンだが、何が驚いたって、雑誌の記事を見るとこんなグラフィックにも関わらずゲーム内容は従来のボンバーマンとほとんど同じで、普通に見下ろし型の固定画面ステージらしいってことだ。これはいったい誰が求めた変化(変化なのかな?)なんだろうか。海外市場? 個人的には、こういう妙な気合の入れ方は嫌いじゃないんだが(でもLive Arcade向けでいい気はする)。