NGM+その他の欲望

日々のサムシングについてのスクラップブック。

映画版『サイレントヒル』感想

 映画版『サイレントヒル』を見てきた。ゲーム原作の映画としては異例なことに、見た人の感想が概ね好評な作品だ。
 正直なところ、「映画」としてはさほど感心しなかった。いわゆる「謎解き」部分の取って付けた感はあまりにも蛇足だし、ラスボス登場時に一気に盛り上がった気分も、その後のゴアシーンのCGの安さで萎えてしまう*1
 だが、監督が原作ゲームをかなり好きだ、ということはひしひしと伝わる。特に導入部、娘の影を追って狭い路地に入っていくところ。あそこ、カメラアングルやカットの繋ぎ方を、ゲーム版の同シーンをほぼそのまま持ってきてるよね多分(つまり、カットの繋ぎ方=ゲーム版のマップ切り替え)。また、原作ゲームでとても魅力的だったクリーチャーたちの再現度、映像化するにあたってのアレンジ具合もかなりのもの。特に気に入ったのは、街のはずれで出てくる腕のないクリーチャー。霧の向こうからよたよたと出てくるところが、まさにゲーム版『サイレンヒル』の間の取り方だった。突然出てきて驚かすとか、そういう演出をあえてせずにゲーム版の雰囲気に近づけるのを優先させているのも、ゲーム原作の映画としては珍しいだろう(良心的、とまでは言わないけど)。
 とにかく、「ゲーム映画」としての完成度を高めることを目指した作品だと感じた。特に劇中の「アイテム」の扱い方なんかがそうだ。これがもう、マクガフィンというよりもそのものずばりで「ホラーADVに出てくるアイテム」的な扱いなんだな。羊の紋章の鍵とか、黄金虫のメダリオンとか、そういった類の。車の近くに落ちていた街の地図のシーンなんか最高だ。これはかなり勇気がないと出来ない演出なんじゃないだろうか。ここでThe Texas Chainsaw Suicideでの本作のレビューを引用させてもらおう。

 が、この映画の成功は単にゲームのビジュアルを完全再現したからだけではない。テレビゲームの映像化がなぜ失敗するかといえば、結局のところゲームとはルールのことであり、ルールを映像化することが困難な以上、そのルールという土台の上に乗っているゲームのあらゆる事象が、映画の観客として見ると全て不条理に映ってしまうから、てのが多分模範解答の一つだと思うんだが、「サイレントヒル」はそんな不条理をも内に含んだ世界観を有しているので(1をプレイした限りでは、製作者もきっちり1から10まで世界設定を作りこんでいる訳ではないと思う)、映像化により是が非でも増大する不条理感がまったくキズにならない。いや、さらにそのおかげでホラー映画としての強度は3割増し、という珍しい「映画化する為に作られた」と言っても過言ではない稀有なゲームだったからというのも一因と思われる。

 「アイテム」の扱いなんてまさにそれで、このおかげで本作はよくあるホラー映画とは一味違う、ダークファンタジー的な魅力を獲得している。ただ、だからこそ「謎解き」のところはもうちょっとなんとかしてほしかった。ゲームのほうのシナリオもわりと意味不明なので、いっそのこと映画では説明を一切省いて不条理ホラーとして徹底すればすごい傑作になったんじゃなかろうか。
 関係ないけど、幕切れは筒井康隆「母子像」を思い出した。

サイレントヒル [DVD]

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*1:基本的にCGが妙に安っぽく見える映画だったが――それこそゲームのイベントムービーのようだ――それがうまいこと味になっていたのはよかった。ただ、クライマックスのゴアシーンだけは別。あれはちょっと安すぎる。