NGM+その他の欲望

日々のサムシングについてのスクラップブック。

ヤマグチノボル氏逝去

【訃報】(メディアファクトリー)


ヤマグチノボル氏というと、個人的にはやはり「HEXAGON」の人、だった。90年代末の個人サイト/プレ・テキストサイト界隈のアイドル的存在、という認識だ。

片桐彩子日記や「ハイスクールはダンステリア」は、更新されるたびに、これは今まで活字では読んだことのないテキスト芸だ、いや、ネットだから/個人サイトという場だから、こういうテキスト芸ができるというのだろうか、と感心しながら読んでいた。WebArchiveでぽつぽつ読み返しているけど、今読んでも当時からまったく色あせることなく面白い。片桐彩子日記に挿入される独特の台詞回しや、「ハイスクールはダンステリア」の笑えばいいのか切なくなればいいのか、大いに読者を戸惑わせる乾いた叙情、などなど。

繰り返しになるが、1998年前後のあの時代、こういうテイストのテキストは紙媒体では読んだことがなかった(少なくとも当時の私が見ていた文化圏では)。当時、あの界隈の個人サイトに親しんでいなかった人にうまく伝わるかどうかわからないし、ともすれば「ハイスクールはダンステリア」は、「村上春樹調に書かれたときメモの二次創作、文体と内容のそのギャップが面白い」的な感想を抱かれるかもしれないが、そうじゃないんだ。そうじゃない。いわゆる〈ウェットな自分語り〉への含羞からのエンターテインメントな自虐・テキスト“芸”への傾倒が見られたプレ・テキストサイト群の中で、ひどく迂遠な形で……ぶつ切りの、たどたどしい、断片化された物語というフォルムで、プライベートな情感を表現することに成功したテキスト、つまりこの上なく「個人」サイト的なテキスト、それが「ハイスクールはダンステリア」なのだと思っている。

そう、「TEXT」なのだ。「小説」とか「作品」ではない。あの当時の個人サイトがトップページに掲げていたコンテンツカテゴリのうち、このような種類の、いつもの日記とは違う、物語のようなもの……物語を指向しながらも「小説」というフォルムへの強度にはあまり拘らず、テレホーダイタイムの速度に身を委ねるあの手の文章たち、あれらを公開するページのタイトルはだいたい「TEXT」だった。テキスト、としか言い表しようがないものだった。断片、フラグメンツ、何かから切りとったもの、あるいは〈何か〉すらなく突然深夜にやってきたもの、最終形のない永遠の未満。

話が逸れた。こういうふうにどうしてもあの当時のサムシングについて何かだらだらと書かずにはいられないレベルで、ヤマグチノボル氏と「HEXAGON」や90年代末の個人サイト界隈は、私の中で分かちがたく結びついている。その後の氏の仕事では、シナリオを担当した『カナリア』はDC版をプレイしたけど、ライトノベル時代は追いかけていない。『ゼロの使い魔』がアニメになってヒットした頃、ヤマグチノボル氏が原作だと知ってえらく驚いたことがある。別に個人サイト時代になにか交流があったわけでもなく一方的に知っていた(読んでいた)だけなのだが、なんというか、地元とか母校が同じ人が有名になったときの、誰に言うわけでもなく胸の内で(お、めでたいね)と呟く、あれに似た淡い喜ばしさを感じた。そしてそういう人が亡くなってしまったときに感じる、追悼の言葉を述べるのはおこがましいと思う一方で曰く言いがたい寂しさがしばらく尾を引くのだろうなという予感、あれが今、ある。


HEXAGON(WebArchive)