NGM+その他の欲望

日々のサムシングについてのスクラップブック。

もっとシャマランしてもええんやで、むしろわしらそれを待ってるんや『アフター・アース』

日本での宣伝展開で「監督:M・ナイト・シャマラン」というワードを一切露出させない戦略が取られたそうだが、いやまあ、しょうがない気もするんだ。映画好きの中でも正直なところ好き嫌いがはっきり分かれる人だし*1、近々の作品がどれもあまり褒められたできじゃないのはファンでも認めざるを得ない。でも新作が来れば見に行きますよそれは。予告編を見る限りだと、これは逆『地球の長い午後』みたいな話なのかしらん? とちょっと期待するところもあったし。





この予告編はいいよねー。

遠い未来、人類は荒廃した地球を脱出して新天地ノヴァ・プライムへと移住した。しかしその惑星を「聖地」とみなす異星の種族との間に激しい戦争が勃発する。異星種族は生物兵器「アーサ」をノヴァ・プライムに投入する。アーサは人類が恐怖を感じたときに分泌するフェロモンを感知し、執拗に攻撃をする習性を持っていた。劣勢に立たされた人類だったが、レンジャー部隊の総司令サイファ・レイジ(ウィル・スミス)は「恐怖」の感情を克服、そのフェロモンでしか敵を感知できないアーサにとって彼は姿の見えない「ゴースト」となった。サイファの指揮によりレンジャー部隊は恐怖を克服しアーサに気づかれない能力=ゴースティングを身につけ、戦況を覆していった。
サイファの息子・キタイ(ジェイデン・スミス)はレンジャー候補生。14歳を目前にして正式なレンジャーとなるための試験を受けるが、能力は十分なものの作戦時の無謀さを指摘され不合格に。偉大すぎる父親の存在と、過去のある出来事からどうしてもレンジャーになりたいキタイは強く挫折感を抱き、久々に帰宅したサイファとの関係もギクシャクしたものに。妻に「指揮官ではなく父親として息子に接するべき」と諭されたサイファは、次の任務へキタイを連れていく。辺境の惑星での訓練指導という軽い任務、サイファにとっては息子との小旅行程度のつもりだった。しかし、航行中の事故により宇宙船はある惑星に墜落する。そこは1000年前に人類が捨てた星、今や人類が生きるにはあまりにも苛酷な環境となった「最上級危険惑星」――地球だった。

というわけでわりと予断を持って臨んだわけだが、ストレートなSF冒険成長物語/父と子の物語、になっていたので個人的にはやや肩透かし。いや、でもぜんぜん悪くはないよ。悪くはないんだが……。

物語の語り口に強度が足りないのは如何ともしがたい。これはやはり、原案担当のウィル・スミスのための(いや、正確に言えばスミス親子のための)映画であり、ウィル・スミスが息子に語りたい物語、というところに足を引っ張られたのだろう。別に父として息子に語りたいこと(を映画にする)という行為自体は何ら批難されるものじゃあないだろうけど、なんつうんですか、やっぱシャマラン的に遠慮というか気遣いというか、言うなりゃ「顔色見てる」部分が出てきちゃってて、そこらへんが語りの強度を低める結果に繋がってるんじゃないか。

まあ具体的に言えば、アヴァンタイトルで、お、すでに状況が始まっているところからのスタート、短いカットワークでの不親切な説明、いいね! とアゲといてからの、「では、物語の設定をモノローグで説明します」という素人じみた処理。上で頑張って「あらすじ」っぽいもの書きましたが、一段落目まではここで「設定」として説明されるんですね。あそこはさー、ちゃんと脚本も書いてるんだからさー、もっといろいろスマートにできるだろうよーという。

いや、別にシャマランの映画に語り口の「強度」を期待しているわけではない。実際のとこ、そこはずっと弱い。いつも綱渡りしてるようだ。でも、その弱さを誤魔化すような、いや誤魔化すなんて言葉が悪いか、その弱さを気にさせないような、語り=騙りの流麗さが確かにあって、私はそこが好きだったのだ(もちろんここで言う「騙り」とは、いわゆる「どんでん返し」のことではないよ)。そこらへんがこの映画には弱い。

物語のテーマ的には確かに今までの作品でもずっと言ってきたことの変奏ないし繰り返しであるし、ベースとして会話主導でストーリーが進行するところもいつものシャマラン節ではあるので、なおさら語り口の弱さというかたどたどしい部分が気になった。ただ、シャマランの名前を無視できるのであれば、大傑作とかではないけれど、普通に楽しく観賞できるSF冒険成長物語ではあるだろう。父親と息子の物語としても、少々時代錯誤に見えるくらいの、古き良き安定したお話です。

*1:「作家」として好きな人と「気取ってるだけのパクリ屋」と貶す人に分かれる。俺はどっちかっていうと、お話のベースはパスティーシュとか二次創作的な手法で持ってきて語り方で勝負する人、という印象を持っていて、作家的な職人だと思っている。