NGM+その他の欲望

日々のサムシングについてのスクラップブック。

「人間に怯えるロボット」で9.11以降の状況を示すアート

http://hotwired.goo.ne.jp/news/culture/story/20050105206.html
 実際にこのインスタレーションを見たわけではないし、Wired Newsのこのヘッドラインの付け方も「いかにも」な感じだけど、人間に怯えるロボットというのはなんだかとても魅力的だ。

 『終わりなき閉鎖』の制作にあたってとくに関心があったのは、ほとんど誰も見たことのないような行動をするロボットに出会う人々の反応を観察することだ、とオレラーナ氏は言う。同氏によると、観覧者は即座に――おそらくは無意識的に――ロボットを擬人化し、自ずから恐怖などの感情を持つとみなすようになるという。また、ロボットの自分に対する反応を見て、ペットそっくりだと感じる人も多い、とオレラーナ氏は語る。

 人工無能や『どこでもいっしょ』やこうさぎなど、我々は「高度な技術で動いているはずの人工物が間抜けな反応を返す」ものに何故か惹かれる。完璧なロボットなど必要ない(むしろ恐怖だ)、欲しいのはどこかが欠けたマスコット的なロボットだ。たぶんそこに人間未満の(我々の保護欲をかき立てる)存在を見ているからなのだろうが、では我々を恐怖するロボットや人工無能がいたとしたら、我々はどう感じるだろう。どんなに言葉を教えても、出かけるときに常に持ち歩いていたとしても、部屋の隅っこで震えてばかりいる井上トロ。あるいはいくら世話をしても恐怖のためのストレスで死んでしまうたまごっち。好きとか嫌いとか言い出す前に顔を青ざめさせながらなんとか一緒に下校するのを回避しようと冷や汗をかいている藤崎詩織。絶対的なディスコミュニケーション
 インタラクティブなエンターテインメントはプレイヤーに絶望を体験させる道を模索すべきではないか。何も生み出しはしないだろうが、ショックは受ける。ショックは重要だ。