NGM+その他の欲望

日々のサムシングについてのスクラップブック。

蓄積キルタイム

 ゲームをプレイしていて気持ちいいことのひとつに、何かが蓄積されていくのを実感できる、ということがある。何か、っていうのは経験値やアイテムやスペシャルカーのようなゲーム内のフィーチャーだったり、もっと単純に「そのゲームをうまくプレイできるスキル」だったり。
 なにか有益なものが確実に溜まっていくのを目にしたり感じたりするのは、誰しも気持ちのいいことだろう。たとえ現実の生活にはなんの役にも立たず影響も与えない、そのゲームの中だけでしか通用しない「有益なもの」であったとしてもだ。


 そういう“ゲームをしていて蓄積されるもの”の中で、個人的に最も気持ちいいのが「時間」だ。つまりあれ、よくメニュー画面とかセーブファイル管理画面なんかに表示される、「総プレイ時間」のこと。もうね、あれが溜まっていくのが、なんかこう、すごく好き。5時間を超して10時間になるあたりなんか、もうウズウズしてしまう。15時間を超して20時間に達するあたりになると、しばらく総プレイ時間の表示だけ眺めてニヤニヤしている。気が付けば24時間を超してたりすると、思わず腕組みして「うーん」とか唸っちゃうね。24時間経つと単位が切り替わって「1日」と表示されるタイプのゲームなら尚更だ。


 書いていて我ながら変態っぽいというかどこか病んでる気がしないでもないが、好きなんだからしょうがない。
 ただ、この「総プレイ時間」表示ってのを嫌がる人もけっこういる。そういう人に言わせると、自分がどれだけの時間を無駄にしてしまったかを突きつけられているような気がしてしまうのだそうだ。うーん、まあわからんでもない。ある程度の年齢になると、ゲームで遊んでいる時に、この種の罪悪感を抱いてしまいがちだ。先日紹介した『ゲームの話をしよう』の中で、永田泰大はこの罪悪感の理由を、餅月あんことの対話の中で次のように表現している。

あんこ だから、自分に自信がないとゲームはできないですよ。あたしが電車の中でゲームボーイやるのは「仕事してんだ! 生きてんだ! おもしれぇんだ!」ってやってるからいいんだけど、人目気にしてるようじゃねえ……。っていうかゲームやらない人ってバカだと思うんですけど、どうでしょう? ダメだと思いません? なんでゲームやらないのって。なんでこのおもしろさをわからないで生きてるの? みたいな。もったいねえって感じなんですけど。


永田 (爆笑)。もう何もかも言われちゃった感じなんだけど、いちおう、俺なりに理屈づけるとすると、ゲームって娯楽指数が高いじゃない? 小説とかにくらべて圧倒的に。で、人間は娯楽指数の高いものをただただ続ける、ってのは気がとがめるんじゃないか、って思うのね。楽しいものほどハマってると後ろめたい気持ちになる
(アスペクト[エンターブレイン]『ゲームの話をしよう』P.32 文中の強調部分も原文ママ

 「娯楽指数の高いものをただただ続ける、ってのは気がとがめる」。この記事がファミ通に載ったのは1997年。いわゆる次世代機戦争時代のゲームバブル真っ只中だが、それでも「大人がゲームをする」ことに今よりもずっと抵抗が……世間的にも、プレイヤー自身の中にも……あった頃の話だ。だが、今でもこの「気がとがめる」っていう引っ掛かりを持つ人はいるだろう。ごく一般的な社会人ゲーマー全般に言えることかもしれない。


 個人的な経験から、いわゆる普通の会社に勤めていて、ヘビーゲーマーとまではいかないが趣味の一つとしてゲームを楽しんでいるという人は、「総プレイ時間」表示のことを(悪い意味で)気にする傾向がある。『真・三国無双』を○○○時間もやっちゃってさー、みたいな話は、自虐的な語り口でされる話題だ。6800円でそんだけ長い時間楽しめたんだから安上がりじゃないか、とかいうフォローを入れても、彼/彼女らにとってその時間は「無駄に過ごしてしまった時間」という思いが拭いがたくあるようだ。
 我々ヘビーゲーマーは……あえてこう自己規定するけど……そのような罪悪感からは自由だ! 高らかに宣言したい! そんなちっぽけな自意識はとうに捨て去ったのだ、と!……とか言いたいところだが、私の「総プレイ時間」表示フェチも、結局のところこの罪悪感の裏返しのような気がしないでもない。とにかくなんでもいいから何か目に見える形で「残るモノ」が欲しい→でもやり込みとか超絶プレイとかはもうゲーム体力が落ちてるからちょっとつらい→あ、「総プレイ時間」が表示されてるじゃないか、俺がどれだけこのゲームに時間をかけたかが具体的にわかるじゃないか! という感じかな。
 つまり、ゲームをしている時間が無駄だとは思わないけど、ゲームをプレイしたことによって確実に手に入る何かがないと不安になるんじゃないか。そのゲームをクリアしたとかうまくなったとかそういうことではなく、時間をかけるだけで確実に手に入るものを求めているんじゃないか。そんな気がする。


 「時間をかけるだけで確実に手に入る」も何も、かけた時間が表示されてるだけのものを悦んでいるんだから、これはもう倒錯としか言いようがない。しかも、なんの努力もせずに安易な「結果」だけを求める、ものすごく怠惰な姿勢の気もする。
 こんな自分は恥ずかしくて「ヘビーゲーマー」だなんて名乗れない。変態プレイヤーぐらいがちょうどいい。このサイトのタイトルもNightcap Gamer's MemopadでNGMだなんて気取ったこと言ってないで、いっそのこと「欲望プレイ」とかにしたらどうだ、実際最初の頃はそういうタイトルにするつもりだったけど当時のBloggerのシステムでは日本語のページタイトルが通らなくてやめたんだし……。


 などということを、ちょっと前にいろんなゲーム系サイトで話題になっていたヘビーゲーマー/一般ユーザー論を読みながら思ってました。ぼくはゲームをしながらもうそうするのがすきなので、これからもそうやっていきてゆきたいです。