NGM+その他の欲望

日々のサムシングについてのスクラップブック。

遅延するプレイヤー

 本日最終日の「dotimpact 田中孝太郎[リアル・タイム・マシーン]展」http://realtimemachine.dotimpac.to/)に行って来た。表参道は不案内なのでたぶん迷うだろうなあと思ってたら予想以上に迷ってしまって、ギャラリーに到着したのは閉館の25分前くらい。うひゃあ。
 前日に来場したという遠藤雅伸のサイン(『ゼビウス』をフィーチャーした「Real-Time-Machine for Arcade」の説明パネルにサインしてあった。→ http://collisions.dotimpac.to/inProgress/realtimemachine/5thday.html)を見つつ、作品を触らせてもらう。すぐに閉館の時間が近づき、dotimpactさんは片づけの準備等でお忙しくなりそうだったので感想も言わずに辞去してしまったが(失礼しました)、展示されていた3つの作品を自分なりに消化して感想を。
 「Real-Time-Machine for Arcade」「Real-Time-Machine for TVgame」の二作は、ビデオゲームの「映像」とプレイヤーの「操作」との不整合・遅延を顕在化させることで、いつもは当たり前のことだと思っている「(ゲーム内の)プレイヤーキャラクター=(ゲーム外の)プレイヤー」という構図が崩れ、プレイヤーキャラクターに同一化していた/することを望んでいた「私」がゲームプレイから切り離されるような感覚を持った。ひとことで言えば気持ち悪いとかもどかしいという感覚なんだけど、その気持ち悪さによって「プレイヤーである私」の存在が浮き彫りになる、みたいな。我もどかしいゆえに我あり、という。
 「PONGed」は上記二作とはちょっと毛色が違って、何が決定的に違うかと言えば「ちゃんと操作できる」ということだ。

■世界最初の商用アーケードゲーム「PONG(ポン)」をネットワークごしにプレイできる作品。すぐとなりのギャラリーの相手と対戦できますが、その間でサーバを介してネットワークで通信を行っているため、2人のプレイヤーの間を行きかうボールの遅延が、そのままネットワークの遅延を表します。

 プレイヤーキャラクター=パドルは、他の二作と違ってごく普通に……リアルタイムに操作できる。この作品で「遅延」するのはボールで、いわゆる「ゲーム」としては何の問題もなく成立してるんだが、とても面白い感覚だ。
 会場のギャラリーには左右に分かれた2つの部屋があって、『PONG』のプレイヤーA/Bのフィールドが分割されてそれぞれの部屋の壁にプロジェクターで照射されている。部屋と部屋の間にはエントランスがあって物理的にも離れているんだけど、ガラス張りなのでお互いに向こうの部屋/プレイヤー/フィールドを見ることができる。この部屋と部屋(=プレイヤーAとBのフィールド)の間をボールが行き交うとき、会場内・日本国内・海外の3つのサーバを並行して経由し、相手のフィールド/部屋へと届く。ボールは会場・国内・海外のサーバそれぞれとのネットワークの遅延を反映して表示されるので、最初は1個だったのがしだいに3つに分裂し、打ち返すたびに通信を繰り返してどんどんタイミングがずれてくる。
 打ち返すたびに向こうの部屋を見て、どれだけタイミングがずれたかを確認し(それと相手プレイヤーの反応なんかも確認して)、打ち返される玉に備える……というプレイ感覚は、これをアレンジすれば新しい対戦ゲームとかアトラクションに使えそうだ! と思った。面白い。対戦というよりはキャッチボール的かもしれない。遅延キャッチボール。
 普段メディアアートにはあまり親しんでいない僕でもごく自然に楽しめました。またどこかで新しい作品を体験できる日を楽しみにしています。お疲れさまでした。