NGM+その他の欲望

日々のサムシングについてのスクラップブック。

海猫沢めろんのインタビューを読んで、その他

・海猫沢めろんインタビュー:前編 / 後編

 なんて面白いインタビューだ! 半透明な存在としての僕的オタク→男塾入学→土方→ホスト→ヤクザ→デザイナー→売れないエロゲーのノベライズというすごい経歴。

あの頃はオタクとヤクザが絶妙に悪魔合体してたね。「コンゴトモヨロシク」だった。邪教の館ですよ。ヤバい。ナイロンのトロピカルのズボンに、女の人の絵がプリントされた膝下まであるシャツ着て、首から金の十字架ぶら下げて、しかも金髪を『餓狼伝説』のテリー・ボガード風に後ろで結んで、セカンドバッグはパチモンのハンティング・ワールドとかさ。で、靴はよくわからないデッキシューズ。ハイブリッドすぎた。全然意味わかんない。こいつのルーツがわからない。超生命体。トランスフォームしてた。コンボイ司令官を余裕で超越してた。しかもオレ、自分のことオシャレだと思ってたからね。『シティハンター』の冴羽僚も入ってたし。それで店でオタ小説読んだり、アニメイトに行ってたんだよ。地元の声優イベントで水木一郎先生と一緒に『マジンガーZ』の主題歌歌ったりさ。新しかった。

 面白いなあこの人。さっそく『左巻キ式ラストリゾート』を注文した。


 ぜんぜん関係ないんだが、こないだ「久しぶりにライトノベルを読んでみようかなー」と思ったんですよ。『ひぐらしのなく頃に』特集目当てで読んだ「ファウスト」Vol.5に上遠野浩平特集が載ってたこともあって。ブギーポップシリーズも『ペパーミントの魔術師』までしか読んでないし、そのあと秋山瑞人の『猫の地球儀』を読んで以来、いわゆるライトノベルって読んでないなあ、と。あ、冲方丁の『マルドゥック・スクランブル』と佐藤友哉の『フリッカー式』、西尾維新の『サイコロジカル』は読んだ……が、どれもいわゆるライトノベルとは違うだろう。「ライトノベル」周辺の言説ではよく言及される人たちだと思うけど*1
 つまり、1999年に出版された『ペパーミントの魔術師』、2000年の『猫の地球儀』以降、21世紀になってからライトノベルを読んでいないということになる。せっかくだからこの機会に最近のライトノベルプロパーな人の作品を読んでみよう、たぶん電撃文庫をあたればいいはずだ、と見当をつけて本屋へ。そういえば「涼宮ハルヒ」シリーズっていうのが人気あるらしいしSFだって話だからそこからなら入りやすいかな、と棚を見てみるも一冊もない(後で知ったのだが、「涼宮ハルヒ」シリーズは電撃文庫ではなく角川スニーカー文庫だった)。売り切れかーそんなに人気あるんだー、じゃあ「涼宮ハルヒ」シリーズじゃないけど同じ作家(谷川流)のこの本にしよう、と手に取ったのが『絶望系 閉じられた世界』だった。タイトルがいかにも「セカイ系」(もしかしてこの言葉はもう古い?)だったし、表紙のイラストも(僕が想像する)「最近のライトノベル」然としてたから、これはきっと泣きと萌えとセカイの小説に違いない! よーし十代の人の文化を吸収するぞーと勢いこんで読んだ。
 ……ら、ぜんぜん想像と違って驚いた。まさかこんなフリーキーな小説だとは。安っぽい深夜アニメみたいなジャンク設定の中で、頭でっかちの学生演劇みたいな会話劇が淡々と続き、それを異様に冷めた、すべての登場人物と距離をとっている不在の語り手がほとんど抑揚なく語っていく話だった。うーん、これは萌えなんだろうか、泣けるんだろうか、でもセカイな感じはするし……最近のライトノベルはこういう込み入った場所に向かおうとしているのか、ぜんぜん動物化してないじゃん! これはいわゆる「純文学」の方向なんじゃあないか、なんかすごいなあ……と感心してしてしまった。
 だが、ネットの感想を読んでみると、どうやらこれはいわゆる「異色作」のようですね。別に「涼宮ハルヒ」シリーズはこんな感じではないらしい。ちょっとほっとしたというか残念なというか。

絶望系 閉じられた世界 (電撃文庫 1078)

絶望系 閉じられた世界 (電撃文庫 1078)

*1:佐藤友哉西尾維新は、はっきり言ってさっぱりわからなかった。たぶん、僕が望まれている客ではないからだろう。いいも悪いも、好きか嫌いかも、まったくわからない。そういう読後感を持った小説は初めてだった。