NGM+その他の欲望

日々のサムシングについてのスクラップブック。

『わにとかげぎす』と『チェリーナイツ』

  • 古谷実わにとかげぎす』の二巻を読んだんだが、主人公の同僚コンビ(頭が悪い奴と思い込みが激しい奴)がチープな犯罪に巻き込まれてものすごいスピードで酷いことになっていく展開が戸梶圭太の小説みたいでえらい面白かった。主人公側のエピソードよりも、この二人のエピソードだけ読んでいたいくらいだ。最近の古谷実のマンガは、だいたい途中から急転直下式にひどいことが起きたりするが、今回の展開の安っぽさには正直なところかなり感動した。ひたすら安い。
  • わにとかげぎす』は孤独な三十代のフリーターが主人公で、彼は「このままじゃやばい」とか「友達が欲しい」とか焦燥感に苛まれてるって設定なんだけど、今ひとつ切迫感がないのは、彼を一方的に好いてくれる美人さんが(例によって唐突に)出てくるからだ。というか古谷実のマンガはほとんど「駄目な主人公のことを盲目的に好いてくれるグラマラスな美人さん」が出てくる気がするんだが、今作ではほんとにすぐに出てきちゃうので、なんだこれで解決じゃん!と思ってしまうんだな。それで主人公側のエピソードがわりとどうでもよくなって(ほぼ解決してるので)、どうなるのかと思ったら同僚のバカ二人の話になった。そうやって転がすのか。
  • ところで孤独でモテなくてつらいと言えば、去年第一巻が出た小田原ドラゴンの『チェリーナイツ』が本当につらい気分になった。いつもの小田原ドラゴン的なギャグマンガなんだけど、主人公のふたりのどん詰まり感・未来ない感が、この作品の「ギャグマンガ」としての立場を危うくさせるくらいに強烈で、読んでると目が泳いでしまう。こりゃ別に比較してどうこうというわけじゃないけど、古谷実の最近作に出てくる「孤独で人間関係を構築するのが下手で焦燥感に駆られている人物」は、たとえギャグを織り交ぜて描かれていたとしてもベースはシリアスなドラマなので、彼らの「内面」は尊重されて描かれる。だが小田原ドラゴンの『チェリーナイツ』は、あくまでギャグマンガなので、登場人物の「内面」の吐露さえもギャグとして駆動されてしまう。シリアスな一人の人間として尊重されて描かれることはない。「内面」は決して祝福されない。だから彼らには本当に逃げ場がない。さらに言うなら、主人公の一人は「内面」を持たない人間として描かれる。つぶらな瞳で、いつかセックスができる日をただ待ちながら、簡単にセックスさせてくれる女のこととCoCo壱番屋のカレーのトッピングのことだけを考えて生きているのだ……ナンセンスな、一話完結式で短いページ数のギャグマンガという形式であるから、彼らの日常にドラスティックな「解決」が訪れるとは考えられない(訪れるとしたら最終回だ)。一話一話はごくストレートに、無責任に笑って楽しめるが、まとめて読むとどうしようもない閉塞感に襲われる。傑作。不定期連載なので二巻が出るのはまだ先になるだろう。

わにとかげぎす(2) (ヤンマガKCスペシャル)

わにとかげぎす(2) (ヤンマガKCスペシャル)

チェリーナイツ(1) (ヤンマガKCスペシャル)

チェリーナイツ(1) (ヤンマガKCスペシャル)