NGM+その他の欲望

日々のサムシングについてのスクラップブック。

『GODZILLA 怪獣惑星』/とにかく主人公が怒る

今年は6月くらいから仕事がとても忙しく、心身ともに異様な疲弊と焦燥感にさいなまれる日々が続いていたわけだが、なんとか一段落つきつつあるのでその合間を縫って……というか休日出勤が終わった後に会社の近くの映画館で見てきた。とりあえずつれずれと感想。

 

怪獣映画というよりもSFアニメとして楽しい感じではある(やっぱ舞台が舞台だけに巨大さの表現が弱い)が、マジメに作ったファイナル・ウォーズ風味はあるかも。

とにかく最初から最後まで主人公が怒ってるのが良かった。ゴジラに畏怖の感情はほとんどなく、とにかく巨大な怒りと憎しみの対象としていて、つまり神殺しの物語になってる。ちょっと山田正紀の『神狩り』を思い出した。神的存在が出てきたらとにかくぶっ殺す手段を考えるというのはとても健全な精神だ。ガンガンぶっ殺していこう。

 

まあそれはおいといて、今作のゴジラの造形で気になるのは顔、表情である。「恐ろしさ」「凶暴さ」「強さ」「かっこよさ」「ヒーローっぽさ」などなどは歴代ゴジラの造形で手を替え品を替え表現されてきたが、今回のゴジラの顔はなんというか、ある種の諦観・達観さえ覗えるような、老賢人じみた表情なのだ。これはどういうことか。主人公がとにかく怒りまくって、ゴジラもなかなかの大暴れを見せるものの、顔は老賢人。あれかなあ、三部作の2作目、3作目では主人公が怒りの感情を鎮め、地球の意志を体現する存在としてゴジラとなんらかの和解をするとか、そういう転がしかたななのかなあ。そうはなってほしくないなあ。主人公には怒ったまま最後まで突っ走ってもらい、ゴジラをぶっ殺してほしい。できれば人ならざる者に変化したりとかそういうんじゃなく、独りの人間として情念のみのデタラメな勢いでぶっ殺してほしい。アニメでならそれができるはずだ。地球と和解系の話はさあ、これCGアニメだろ? 大都会のオフィスで超ハイエンドなマシンをブンブンぶん回して作ってるわけじゃないですか? そんな作品でそんなこと言われてもねえ……って気分になるからぜったいやめてほしい。なんならあの森をすべて焼き尽くしてしまってもいいよ。森を焼き払い、独りの人間としてゴジラを殺してほしい。この下等生物めと貶めてほしい。そうした涜神的行為をするためにこそ、ゴジラをCGアニメ化した意味があるんじゃないか?

 

疲れているので筆が先走った。2種族出てくる異星人だが、エクシフはX星人がモチーフとなっており、ビルサルドはブラックホール第3惑星人がモチーフとなっている。で、三部作の第2作目ではメカゴジラが本格的に出てくることが予告されている(本作の冒頭で、ビルサルドがメカゴジラを建造するが、何らかの理由により起動できなかったというエピソードが軽く語られる)。

ということはさ、三部作の最後は当然あいつが出てくるわけでしょ? となると宇宙から襲来するであろうそいつと、地球側代表のゴジラがぶつかるわけじゃないですか? そんで主人公の名前は「ハルオ」……それって今年(2017年)の夏に亡くなった、ゴジラ映画関係者(……というかゴジラ“そのもの”だった方)の名前にちなんでたりする? となるとつまり主人公はゴジラと……あるいはゴジラに……「そういう意味」での「和解」という転がしかたなのかな……などといろいろ妄想が進む。

邦画の実写で二部作三部作だとほとんど間を置かずに劇場公開するけど、できればこのCGアニメゴジラシリーズも立て続けにやってほしかったな。あまり考えすぎないうちに次が見たい。

 

ところで、映画に合わせる形で角川文庫から刊行された大樹連司GODZILLA 怪獣黙示録』も読んだ。これは単なるノベライズではなく、プリクウェルもの、映画に繋がるまでの前史をドキュメンタリータッチで描いた小説だ。……ドキュメンタリータッチというか、まあぶっちゃけマックス・ブルックスWORLD WAR Z』のあの形式で怪獣総進撃をやろうという試み。

最初はあまりにもWWZ「すぎる」ので若干苦笑気味に読んでいたのだが、東宝怪獣特撮映画全般に対するとてもよくできた二次創作作品として、実に素晴らしかった。今回の映画とも接続する物語ではあるんだけど、ぶっちゃけその点はわりとどうでもいい。これはこれで別個の作品として読まれるべき佳品だと思う。

ただ、終盤は明らかに駆け足だったし、全体の尺もこの2倍は欲しい。続巻も出るとのことなので、こちらはこちらで期待したい。