NGM+その他の欲望

日々のサムシングについてのスクラップブック。

厭なVRコンテンツ

最近は厭なVRゲーム/VRコンテンツをいろいろ妄想している。

お台場の「VR ZONE Project i Can」でプレイした『脱出病棟Ω』で、椅子に縛り付けられた状態で隣に並んだ人たちを、殺人鬼が順番に惨殺していく……というのを見せられる場面があって、あれはけっこう厭な感じだった。とうとう俺のとこに来る! というところで助けが来る、まあよくあるシチュエーションでその場面は終わる。

が、「逃れ得ない酷いことが “ゆっくり” と “確実に” やって来る」のをVRで見せられる、というか体験させられるのは、なんというかアトラクション的な「恐怖」=愉しみを逸脱しかねないプレッシャー、ストレスを与えるものなのだなと、やけに印象に残った。正直、他のシーンがあんまり怖くも感じられず肩透かしだったから、なおさらそこだけ妙に記憶に残っている。

そういう高ストレスな状況からプレイヤーを開放する手段を組み込まざるを得ないゲームより、殺してしまっても構わない映画のほうで、俺が感じた「あの感じ」は今後より効果的に生きてくるんではないかなと思う。つまりVR映画とかVRドラマだ。スピルバーグなんか好きそうじゃないですか、保留され、引き延ばされる「決定的な死の瞬間」みたいなの。『プライベート・ライアン』での、組み敷かれて抵抗するも力負けしてゆっくりと首筋に迫ってくるナイフのシーンとか、『ミュンヘン』での、改造拳銃で女スパイを撃つものの、口径が小さくて威力が弱いのでなかなか死なず、改造拳銃なので次の弾を込めるのに手間取るので思わず「ちょっと待ってろ」と言ってしまうところとか、ああいうの。

拳銃の弾切れと交換で言えば、スピルバーグではないけど『ザ・レイド』も厭だったな。冒頭でギャングのボスが猿轡にして並べた警官を次々に拳銃で処刑してくけど、最後の1人のとこで弾が尽きて「ちょっと待て」って言って拳銃を警官の肩に置いて替えの弾を探しに行くすげえ厭なシーンがあるじゃないですか。あの最後の1人になるのよ。VRで。

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ミュンヘン [Blu-ray]

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ザ・レイド Blu-ray

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『Re:ゼロから始める異世界生活』18話までの感想

ここ一年くらいですっかり、リアルタイムでは深夜アニメを見なくなってしまった。元々、「この分野の文化についてよく知らないのだから勉強しなくては」みたいなある意味不純な動機で深夜アニメを意識的に見始めたという経緯があるのだが、40歳に近付いてきたからか、なんかこう、もういいかなあという気分になってしまい、ぱたりと見なくなったのだった。なんていうか……見ていて疲れるんだよね。リアルタイムでちゃんと見ていたのは『アイドルマスター シンデレラガールズ』が最後かな。あれで燃え尽きたような気もする。以後は、人の評判を聞いて数年前に放映されていたものを配信などで後追いで見る、くらいの熱量になった。

そんなわけなので、ついこないだまでまったく知らなかったのだが何故か同時期に複数人の友人から勧められたので『Re:ゼロから始める異世界生活』を見始めた。ある日Amazonプライムビデオの新規配信タイトルを眺めていたらラインナップにあったので、ちょうどいい機会だとウォッチリストに入れ、それからしばらくたってやっと見始めた……くらいの期待値だった。

が、Amazonプライムビデオの一話見終わるとすぐに次のエピソードが再生されるシステムと、各話の最後に必ず大きなヒキがある作品自体の構成でなかなかやめ時が見つからず、休日に一気に15話まで見てしまった。その後、平日の寝る前に一話だけ見るかと思ったらちょうど山場だったので18話まで見てしまい、寝るタイミングを失ったりした。おもしろーい。オンエアで毎週楽しみに見るのもいいのだろうけど、これはVoD時代の一気見に最適化された作りのようにも思える。まあそれは穿ち過ぎか。

 

一話を見た時点では、「異世界転生」を速攻で受け入れる主人公に対して、おお……これが……現代の……フィクション……と苦笑しかけた。が、異世界転生フォーマットの物語が溢れているなろう小説という原作の出自によるもの、というのもあるだろうが、よくよく考えれば、我々の今いる世界に住む「ネット親和性の高いオタクがかった若者」を主人公とするフィクションであれば、主人公が「異世界転生」や「時間ループ」をすんなり理解して受け入れるというのが、ある意味で正しいリアリティなのかもしれない。それこそ現代を舞台にしたゾンビや吸血鬼ものであれば、人々が映画などでそれらのモンスターの習性や弱点をあらかじめ知っているので、「現実」の化物に対してもそれに沿った対策を練って行動するほうがリアリティがある、というのに近い感じか(フィクション仕込みの知識が裏切られる、というのもよくあるひねりの入れ方だ)。

もしも今、「異世界転生」を受け入れられない主人公を描くなら、亀という生物の存在しない平成ガメラ円谷英二がいなかった世界線の『シン・ゴジラ』のように、「小説家になろう」が存在しない世界というのを設定しないといけないのかもしれない

 

まあそんなことはともかく。主人公は現実世界では引きこもりの若者だったのに異世界転生後はリプレイ能力を駆使して男前やなー熱血ヒーローやんけー、っていう10話くらいまでも面白かったが、若さ故の調子こきによって窮地に立たされ小人物ぶりを発揮、いろいろ酷い目にも会ってこれはつらいね……となってからの話がとても面白い。

見る前になんとなく聞き及んでいた「途中で正ヒロインが変わる」っていう件については、10話まででも、あーこれかーと思った。が、オタ人気的には確かにこっちの子が正ヒロインっぽく見えるのはわかるけど、物語のスジとしてはそうなってないよね、ならまあサブヒロインに人気が集まるってのはよくある話だし別に……と思いきや、ギュイイインと音が聞こえるほどの勢いで物語がサブヒロインに向かってハンドルを切り始めるのでスリリング。超スリリング! このままでは物語的にも正ヒロインが変わってしまう、どうするんや……とハラハラしながら本放映時に話題を集めたらしい18話を見ると……思いっきり余韻を残す形でサブヒロインが自ら身を引いた。

ははあなるほど、ラブコメのシリアス局面で最も美味しい役どころであるところの “自ら身を引くライバルヒロイン” 役をあてがうのか、と。物語内では敗退するけど観客の切なさを刺激することで多大な人気を得る、試合に負けて勝負に勝たせる的な花の持たせ方で処理しようというのか、なるほどなるほど……と思ってたらそこでさらに踏み込みがあって、サブヒロインの身の引き方が健気すぎるんで逆に主人公が大反省、そっちにフラフラ行ってたのはつまるところ現実逃避、保身、異世界転生してうまいことやってた風だけどイキってただけなんやと慟哭。さらにそれに応えてサブヒロインが、あなたの中ではそうだったかもしれないが「私」はあなたの違う面を見ていたし、そうやって私が見ていた「あなた」はやはり愛おしい存在だったとこちらも真正面から打ちに行きます。

……これね、“異世界転生” ジャンルフィクションの “キャラクター” として機能しているにすぎなかった主人公に「内面」を発見=見つめさせ、そのうえでさらに自己の内面とは別個に存在する「他者」と、その他者からのまなざしによって発見される「自己の内面」とはまた別に存在する/してしまう「あなた」としての自分、……をも提示するという、とても誠実だと思うし感動的でもあるんだけど、ここでこの2人にそれを深掘りさせちゃうとこいつらの「内面」強度が極端に上がって、正ヒロインルートにハンドルを戻した後にそっちが見劣りしちゃわないかと……いや、そこがまたスリリングだと思いました。どうするんだ? どうなっちゃうの? おもしろーい!

とりあえず18話最後の台詞がいわゆる「ドヤ!」というあれ(最後にタイトルが出る系のアレ。みんな好きなやつ)だったので、よし、今日はここまででいいだろう、と視聴を止めました。続きは最終話まで配信に入ってから一気見しようかな。

あなたにはクンフー以外が足りないわ

他の対戦格闘ゲームのキャラクターと比べてはもちろん、『バーチャファイター』シリーズ内においてさえ、アキラのマジもんっぽさはヤバい域にあるのではないかという話を後輩とした。SASUKEにのめり込みすぎて無職になる人と同じような空気がある。最初は応援していた周りの人たちも、最近はちょっとどう接したらいいのか計りかねているような、抜き差しならないところまでいってしまって本人もどうしたらいいのかわからないような雰囲気というか。

「10年早いんだよ!」と言っているうちに、周りの人たちは仕事でも中堅の位置になり、家族を持ち、財をなしている。時たま呼びかけに応じてショー的な「試合」に出る者はまだいるが、アキラのように修行だけをして日々を過ごしている者などいない。10年、いや20年以上も同じステージで足踏みしているのは自分のほうではないかと気づいたときには、もう四十路の折り返しに来ていた。

自分には親から受け継いだ結城道場があるというのが悪い意味での安心感となり、人生設計を真摯に考えねばならない時期をやり過ごしてしまったのかもしれない。ただただ強さを求める、そのシンプルな、求道的な生き方に誇りを持っているつもりでいたが、今思えばそこに世俗的で猥雑な「人生」を生きる面倒さからの逃避がなかっただろうか。

深夜、公園のブランコに腰掛け、そんなことをぼんやりと靄がかかった頭で考える。己に問いかける。Why…人はなぜ戦う? Yes…何処かで真実の自分に出逢うためさ。だが出逢いたくなかった、こんな自分とは。振り切るようにブランコを飛び降り、すり切れ垢じみた鉢巻きを締め直す。ふと、「愛が足りないぜ」というフレーズが口から漏れた。そうだ、そうなのだ。もしかしたら、それがずっと足りなかったのかもしれない、だからこうなってしまったのだ、などという心地の良い自己憐憫自己欺瞞に、今夜もまた、逃げ込む。

誰も待つ者のない、暗く黴臭い道場へ帰り、煎餅布団に潜り込む。目を閉じる。瞼の裏に広がるのは、電撃文庫ラノベヒロインたちや、やたらと肉感的なDoAの女キャラたちとの肉弾相打つ好バトル。あれはいつのことだったか。それとも、本当はそんなことなどなかったのか。だが、そんなのはもうどっちでもいいのではないだろうか。カッコつけたままじゃ抱きあえない。あの少女たちと。女たちと。目を瞑ったアキラの口元が小さな笑みで歪み、すぐに彼は眠りの淵へと滑り落ちていく。

人は彼を、バーチャファイターと呼ぶ!

 

愛がたりないぜ

リバーズ・エッジ

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とある祭りを覗きがてら、近くの川縁を散歩。土曜日夕方近くの橋のたもとには、Pokemon GOをしている高校生グループ、スケスケの白いジャージを着て異様にゆっくりストレッチしてる中年男性、下半身丸出しで岸辺に佇む真っ黒に日焼けした老ホームレスなどがいて、そこそこ賑わっていた。

 

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少年ハリウッド

録画して2年ほど寝かせておいたアニメ『少年ハリウッド』を見た。舞台公演回まで。原作(最初の舞台のやつ)とは全然違ってえらくリリカルな、主人公たちの心情に細く寄り添う話なのね……。

そして舞台公演回は、あのてのまだブレイクしてない若手イケメン俳優を集めてやるタイプの演劇公演(2.5次元ミュージカルとはまたちょっと違う)のあの雰囲気をかなり忠実に再現してて良かった。

ディズニーの双子コーデ

夜に東京駅へ行ったら、ペアルック……というかまったく同じ服装をした若い女性の二人組をやたらと見かけた。最初に見かけた数組が制服ベースのコーディネートだったので、高校の何かの部活動で上京してきている子たちかなと思ったのだが、制服以外でもまったく同じ服装の二人組ないし三人組を連続して見かけて、これはなんなのだろうと首をかしげた。同行していた妻に尋ねたところ、たぶんみんなディズニー帰りだから(確かによく見るとディズニーランドのショッパーを持っていた)、何かのイベントとか割引きキャンペーンなんじゃないかと言う。あれか、同じ服装のグループは●●円引き、とかそういうのか。

で、後で調べたらイベントなどではなく、「双子コーデ」でディズニーに行こう、というのが数年前から若い女の子のあいだで流行ってるらしいですね。知らなかったなあ。もう若い人の流行り、文化はまったく知らないというか、何もキャッチアップできてないね……まあ俺自身が二十歳前後の頃でもディズニー周辺の何かのブームになんてぜんぜん触れてなかったから、まあそのまま年を重ねればこうなるのだろうけど。そうそう、ディズニーといえば去年知った「手下沼」っていうのにもいろいろ驚かされたなあ。そういうのがあるのかーと。

数年後に自分で読み返して思い出す用に、現時点での「ディズニー 双子コーデ」と「ディズニー 手下沼」のGoogle画像検索の結果を貼っておこう。

 

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天王洲銀河劇場が天王洲YOANI劇場へ

代アニが天王洲銀河劇場を取得、2017年4月から「天王洲YOANI劇場」に……というニュースがあって驚いた。ネーミングライツかと思ったら、ちゃんとホリプロから劇場そのものを買い取って運営するということのようだ。

 

www.yoani.co.jp

代々木アニメーション学院を運営する株式会社代々木ライブ・アニメイション(所在地:渋谷区代々木、代表取締役:中西 彦次郎)とその親会社である株式会社キョウデンエリアネットは、2016年2月1日付で、株式会社ホリプロ(代表取締役社長:堀 義貴)より「天王州 銀河劇場」を取得したことをお知らせいたします。
これにより、「天王洲 銀河劇場」は2017年4月1日より「天王洲 YOANI劇場」として代々木アニメーション学院によって運営いたします。

 

天王洲YOANI劇場」というネーミングセンスはどうなんだと思うのだが、両者の公式サイトを見に行ったら、さらにうーん……という気分に。

↓こちらは現在の天王洲銀河劇場公式サイト。

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↓そしてこちらがYOANI劇場取得をトップで報じる代アニの公式サイト。

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いや、こう言ってはなんだけど、代アニ公式サイトのアピールのしかたがパチンコ屋の広告みたいで雰囲気もクソもない。フォント選び、デザイン処理、言葉の選び方(「爆誕」って……)。あくまで「代アニ」の公式サイトなので、代アニへの入学に興味のある人に向けたアピールではあるんだけど、「本番練習」ってデカデカと書かれちゃうと、この劇場にかかる芝居は学生の練習用の作品なんですかと思えて、客の立場としてはあまり愉快じゃない。

本劇場では、これまで通りの営業公演が行われることに加えて、代々木アニメーション学院と協力関係各社による2.5次元ミュージカル等の公演を予定しています。
公演に当学院の学生を多数出演させてプロとしての本番練習経験を積ませることによりデビュー率の飛躍的向上を目指します。

ということなので、主に代アニ主催の2.5次元ミュージカル公演に学生を出演させることを計画してるのだろう(たぶんアンサンブルで)。

天王洲銀河劇場、俺はなんだかんだで10回ほど足を運んでいる(アートスフィア時代は知らない)。まあ立地的に便利な場所ではないのがネックといえばネックだけど、落ち着いた、雰囲気のいい劇場で、見たのはストレートプレイからロックオペラ、2.5次元ミュージカルとけっこう幅広かったが、どんなジャンルの芝居にも合う、広すぎず狭すぎず、ちょっとした高級感もあるちょうどいい塩梅の小屋という印象だった。そこのところは今後も変わらないだろうけど(別に2.5次元専門劇場になるわけではないようだし)、YOANI劇場というネーミングと代アニ公式サイトのPRのセンスを見ていると、若干不安にならないでもない。

まあでも、代アニって昔から、PRで使う言葉がなんというかこう“身も蓋もない”感じがあって、経営元が変わってもその感じが変わってないようなのを見ると、これはトップのセンスというんじゃなく組織に根付いたカルチャーなのかなという気がする。前にTumblrにUPした2001年頃の広告を引用しよう。

 

http://dokurobune.tumblr.com/post/23348275403/2001年頃の代アニ新聞広告超マシーンヒューマンクリエイター

dokurobune.tumblr.com

 

代アニの経営については以下の記事に詳しい。今は大江戸温泉物語のグループ企業なのね。

timesteps.net