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NGM+その他の欲望

Nightcap Gamer's Memopad, そしてその他諸々についてのサムシング。

『ヘッド・ショット』/手当なき残虐行為、そして邪悪な小さいおっさん

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→公式サイト

東京では新宿武蔵野館で一日一回か二回しか上映しないという小規模な公開だが、金曜の夜に何かキツめの一発をもらいたくて行ってきた。

簡単に言えば、“もしもアクション映画で次々に襲い来る刺客が、ザコが一人もいなくて全員「遣い手」だったらどうなる?” という問いに全力で応える作品。まあ大変なことになってた。

 


映画『ヘッド・ショット』予告編

 

簡単な粗筋を書いておこう。

 

海辺の街の砂浜に、意識不明の重傷を負った男(イコ・ウワイス)が流れついた。男は医師アイリン(チェルシー・イスラン)の懸命の治療により、2ヶ月後にやっと意識を回復する。頭部に撃ち込まれた銃弾の影響からか、名前も含め自分の過去をまったく思い出せない彼を、アイリンは「イシュマエル」と呼び、絆を深めていく。しかし、殺したはずの男が生きていたと耳にした犯罪組織のボス・リー(サニー・パン)は、手下に命じてイシュマエルの抹殺を計る。成り行きからアイリンが拉致され、怒りに燃えるイシュマエルは次々に襲い来るリーの刺客たちと熾烈な闘いを繰り広げる……。

監督は『KILLERS キラーズ』などのモー・ブラザーズことティモ・ジャヤント&キモ・スタンボエル*1。アクション監督はイコ・ウワイス率いるウワイス・チームが手掛ける。

 

粗筋書いといてなんだが、ストーリーは正直かなり緩い*2。だがまあ、とにかく殺気に溢れた痛そうなアクションシーンが最初から最後までみっちり詰め込まれているのは見ものだ。この映画におけるイコ・ウワイスは、記憶喪失ということもあってか物語の途中まではわりあい劣勢の立ち回りを演じていて、そのため決め手となる一発は殊更に必死の、痛々しいものになる。

アクション……というか「何かとてつもなく残忍な行為が、決定的な、回復不能な暴力が今まさに始まる……!」という瞬間にカメラがあたかも恐慌状態に陥ったかのごとく(あるいは武者震いしているかのごとく)ぶるぶると小刻みに揺れ、編集のリズムも不安定になるという手法が多用されるが、これはなかなか良かった。

そういう意味で良かったといえば、インドネシア産バイオレンス映画特有……と言えるほどインドネシア映画を見ているわけではないが、まあ、あの例の、バイオレンスシーンではないところでも溢れ出してきているなんとも言えない厭な空気感が超濃厚で、ところどころ黒沢清の映画時空と繋がっているかのようなショットがあってそこは凄かった。

具体的には、クライマックスの敵アジトでやっと再会したアイリンとイシュマエルを捉えたカットの次、ラスボスのリーが廊下の暗がりからスーッと現れるところを写した妙な角度からの一瞬のショット、照明の不気味な色や顔の表情がよく見えないのもあって、あそこのリーはまるで「生者ではない者」のように見えて虚を突かれる。『回路』で主人公がコンビニに入ろうとするとバックヤードに突っ立っている店員の幽霊的なものを見るシーン、あるいは『クリーピー 偽りの隣人』で香川照之が初めてあの家のドアから出てきて挨拶をするシーン。映っているのはただの人間のはずなのに、どう見ても「生者ではない者」に見えるあの撮り方、あれに通じるものがあり、とても魅力的だった。

魅力的といえば、とにかくこのラスボスのリー(サニー・パン)というキャラクターは良かった。かつての塩屋俊と松尾スズキを足したうえにさらに邪悪さを五割増しにしたような、ものすごく寝不足そうな黒ずんだ顔なのに常にニヤニヤしている小さいおっさんで、この人が出てくるシーンはだいたいぜんぶおっかなくてとても良かった。冒頭の脱獄のくだりはもちろん、敵対組織との取引の場に昼飯の焼きそばを入れたコンビニのビニール袋持ってぶらぶらやって来るとこなんか最高である。この後絶対に何か悪いことが起こる……という恐怖感が半端ない。最後に主人公と肉弾戦をするのは物語上の要請としてしかたないところはあるが、フィジカルな強さを見せられるとあの不気味な邪悪さが薄れてしまうのは残念。サニー・パンは役者でありファイト・コレオグラファーでもある人とのことで、まあもちろん見応えはあるわけなんですが、できれば雰囲気だけでひたすら怖い悪役でいてほしかったなあというのが個人的な感想です。

 

ザ・レイド』のような傑作、とかではぜんぜんないんだけど、このリーという悪役のキャラクターだけで俺としては大満足でした。そういうのが気になる方はぜひ劇場で。

*1:別に本当の兄弟ではない。

*2:特に、リーがほとんど自分から進んで逮捕された後に手の込んだ脱獄をした理由が不明瞭。お話的には「息子」である主人公を自ら殺したことへのある種の傷心からの行動、メタに言えば冒頭五分のキャッチーな展開を作りたかったことからの逆算……というのはまあわかるんだけど、映画内ではそこらへんのところをうまく語り得ていない。

仙台駅すぐそば「さくら野」

所用があり、ここ数日で仙台方面に何度か足を運んだ。

 

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先週のニュースで、仙台駅すぐそばという絶好の立地に立つ「さくら野」という地元老舗百貨店が、日曜まで営業してたのにその日の夜に従業員全員解雇、月曜から自己破産手続き入りでテナント以外は突然の全面閉店で騒然としている、というのを読んでいたので、そういえばどうなってるんだと行ってみた。

 

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確かに閉店している。が、フロアの一部にH&Mが入ってる二階には入れた。後は上の階のブックオフは営業しているようだ。

 

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入り口脇の休憩スペースに座っていた老婦人の皆さんが、急なことでびっくりした、これからどうなるのかしら。というようなことを今まさに話していて、まるで夕方のニュースで流れる街頭インタビューのようだなとぼんやり思った。

 

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富士そばにて

にわかに話題になっている‪『けものフレンズ』、インターネットの奴ら案件だと思ってるので俺は見ていない。が、日曜日の夜遅くに富士そば行ったらこんなことがあった。

けっこう酔ってるっぽいアラフォー男2・女1のグループが入ってきて、蕎麦を啜りながら大声で‬‪会話している。

「○○先輩はこう見えてサーフィンやってるんだぜ」

「えー意外!」

「いやまあ、俺昔ハートブルーって映画見て」

「でさ、なんか最近もののけフレンズとかいうのが流行ってるらしいんだよね」

もののけー? 知らなーい」

ハートブルーっていう」

「なんかユーチューブでさ」

「それはマンガ?」

ハートブルーって」

「マンガマンガ。アニメ」

「知らないなー」‬

ハートブルーっていうさ、知ってる?」

「いや、知らないっす」

「知らないですー。テレビですか?」

ハートブルーっていう映画があってさ、知らない?」

「あー、でも俺けっこう映画見るほうっすよ」

「あたしぜんぜん見ないんだよねー」

「で、なんかユーチューブとかで見るんだけどさ、最近はもののけフレンズってのが面白いらしいんだよ」

結局、『ハートブルー』についても『けものフレンズ』についても、誰も決定的なことを言わないまま別の話題に移っていったが、少なくともこれくらいの範囲にまでは話題が波及しているということか、という知見を得た。学びとしたい。

『ドント・ブリーズ』/監督はきっと根が真面目な人

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→公式サイト


映画 『ドント・ブリーズ』 予告

 

本作の監督であるフェデ・アルバレスの前作、リメイク版『死霊のはらわた』でも思ったんだが、この人は根が真面目なんだろうな。

死霊のはらわた』では薬物依存症の妹の治療(ドラッグ断ち)のために山小屋に籠ることにした若者たち(妹とその兄、兄の恋人、友達や看護婦など)が酷い目にあうんだが、ゴアシーンが妙に自傷的なものばかりなのが気になった。スプラッター云々とは違った意味で痛々しい物語になっていたと思う。オリジナル版の美点である「恐怖とゴアの臨界の果ての爽快感」は、リメイク版ではほとんどなりを潜めていて、やたらと陰惨なイメージだけが残った(スタッフロール後のファンサービスが白々しく感じられるくらい)。

そんなわけであまり評判のよろしくなったらしい前作(俺は好きだが)からちょっと間が空いてしまっての第2作目である。低予算だがスマッシュヒット、評判も上々という感じらしいし、それも頷けるできであることは否定しない。が、やはり憂鬱な雰囲気は全編を覆っていた。以下若干ネタバレの箇所があるので注意。

 

 

本作では、不況下のどん詰まりの街・デトロイトで犯罪に手を染める未来のない若者たちが、老いた盲目の元軍人と暗闇の中で死闘を繰り広げる。低予算でワンシチュエーション、様々な技巧を駆使しながらも90分とコンパクトにまとめたスリラーという、いわゆる「映画的快楽」をストレートに味わえる(はずの)作りだが、いや確かに味わえはするのだが、ジャンル映画的「キャラクター」としては重すぎる……生真面目すぎる人物造形が、物語に拭いがたいダウナーな空気を醸し出す。

例えば短気なクズだと思われたヒロインの彼氏が、自らの命が今まさに奪われんとするその一瞬に仲間たちを庇う。それをお涙頂戴的に過剰に描くことなく、他のキャラクターに英雄的行動だと賞賛させるでもなく、容赦なくばっさりと切っていく。

ヒロインはいくつかタトゥーを入れていて、老人の家に押し入ることを決めたとき、新しくテントウムシのタトゥーを腕に入れる。まだ筋彫りだ。ヒロインのことを密かに好いている男友達が訊くと、この仕事で大金が手に入ったら足を洗って街を出る、カリフォルニアに行く、そこでタトゥーに色を入れるんだと呟く。問わず語りに、子供の頃クズな親にクルマのトランクへ押し込められたことが幾度もあったこと、そのときトランクの隙間からテントウムシが入ってきて腕に止まったことを語るヒロイン*1……登場する人物全員がそんな感じだ。

それでいて、ジャンル映画の枠から逸脱するような過剰さ、突き抜け、高揚……には踏み出さず、半歩手前くらいできちっと折り畳む。例の「体液」の下りでさえ、老人の狂気よりも絶望の深さのほうを前面に出した演出で、ある意味丸めて描いていると言えないだろうか。生真面目で、器用なのか不器用なのか、そういうところが妙に印象的な作品だった。

*1:この印象的な会話は後半の2つの展開の伏線になっているのも見事。

『Bugってハニー』と「あの頃」のハドソン製ファミコンゲーム

30周年記念ということでTOKYO MXで地上波再放送が始まった『Bugってハニー』の第一話を見た。放映当時このアニメを熱心に見てたわけではなく、ゲーム版のほうもとっちらかった内容だなと子供ながらに思ってちゃんとプレイしたことはないので、正直言って思い入れはほとんどない。細かいところもほとんど憶えていないし。

が、改めて見るとなんかすごいドラッギーな世界描写だったのが面白かった。『高橋名人の冒険島』のキャラクターを下敷きにした「高橋原人」が主人公で彼はゲームの中の世界に住んでいるわけだが、その世界の描写が不思議。南の島で、顔のある巨大キノコたちや巨木が話しかけてきたり、というのはおとぎ話的描写でまあわかるんだけど、ジャングルの木の幹に交通標識やバーコード、JISマークやSTマーク、麻雀の点棒などなど雑多なものが刺さっていたり貼られていたりしていてカオティック。

たぶんこれ、当時の(あまり若くない)アニメのスタッフたちが、当時のゲームのグラフィックにおける記号的な混沌をなんとか自分たちなりに解釈しようとしてこういうことになっているんじゃないだろうかと思う。劇中の要所要所では『ロードランナー』や『ボンバーマン』などハドソンファミコンソフトのゲーム中画面をそのまま模したシーンが挟まれるのだが、手描きのちょっとひょろひょろした線で表現されるドット絵が、「時代」って感じだね。

 


ちょい見せ 「Bugってハニー」

 

あと、小林亜星作曲のOP/EDテーマ曲で高橋名人がやけに美声かつ達者な歌を披露するのが印象的。特にOPテーマは映像も相まってなんだかおしゃれ歌謡曲というかソフトロックというか、なんだかそんな感じで良い。

近々で高橋名人の歌声を聴いたのはYMCKの「ロッケンロール・ランデブー featuring 高橋名人*1だけど、あれはゲストボーカルで歌うというよりはMCみたいな感じだったから特に歌声の印象はないんだよな。YouTubeで探してみると、2012年のライブでまさにこの曲の生歌を披露している映像があった。これを見る限り今も変わらずいい歌声だ。

 


高橋名人 Bugってハニー ~ ボンバーキング JADE-Ⅳより

 

ファミリーレーシング

ファミリーレーシング

 

 

と、持ち上げといてなんだけど、ファミコン版『Bugってハニー』前後くらいからのしばらくの時期、感覚的には『迷宮組曲』から『亀の恩返し』くらいまでの時期のハドソンファミコンソフトって、当時はどうにも好きになれなかった。

Bugってハニー』は横スクロールアクション+ブロック崩しというジャンルミックスものだけど、あの時期のハドソンのゲームってゲームジャンルに限らずいろんな要素を雑多に詰め込んでいて、それでいて詰め込んだ要素同士のシナジーがうまくいってない……みたいな印象があったんだよね。もちろんこの印象は今の俺の言葉で表現しているものだから子供のときはもっと漠然と、最初に書いたとおり「とっちらかった内容だなあ」くらいの感覚だったのだけど、妙な居心地の悪さみたいのを感じていたのだった。

ぶっちゃけ、子供の頃の俺はアクションやシューティングゲームでの「隠しキャラ」とか「謎」みたいなものがあまり好きではなかったのだと思う。なんでだろうなあ。どうも小学生なりに、「小学生に媚びてやがる!」と憤ってた節はあるような気がする。

逆に、同じくらいの時期にハドソンPCエンジンで出していたゲームにはそういう感覚はまったくなく、自分ではPCエンジンを持っていなかったこともあって憧れの対象だった。ハドソンPCエンジンの初期に出していたソフトは、移植作も含めてアーケードスタイルのシンプルなゲーム内容をリッチなビジュアルで表現したものとか、硬派なアドベンチャーゲームRPGとか、実験的なCD-ROMタイトルとか、とにかくファミコンとは一線を画する「中学生が遊ぶゲーム」って印象があったのだ。今となっては、その印象は少々買いかぶりすぎだったと知っているけど、当時の小学生の自分には、ファミコンのゲームの同一地平線上、あるいは延長線上にPCエンジンのゲームがあるとはあまり思えず、「ゲームセンターのゲーム」と同程度に、ファミコンのゲームとはかけ離れた存在に思えたのだった(「パソコンのゲーム」に関しては当時はほとんど知識がなかった)。

今は別に、あの頃のハドソンファミコンソフトにそういう苦手感覚はなくなって、あの時代の小学生が「ファミコン」に抱いていたリビドーを貪欲に取り込んだものとして捉えている。ああ、そのうちレトロフリークにその頃のハドソンファミコンソフトを取り込んで、連続して遊んでみるのもいいかもしれない。

*1:『ファミリーレーシング』収録

セカイ・海芝浦

www.huffingtonpost.jp

2000年代前半に大流行した会員制SNSの「mixi」が、10年前の日記を知人に通知するキャンペーンを始めた。12月5日以降「忘れたい黒歴史が晒されてしまうのでは?」と危惧する声が相次いでいる。


■それは大変。でも実態は……


話題になっているmixiの特設サイト「ASIAN KUNG-FU GENERATION × mixi

これは、ロックバンド「ASIAN KUNG-FU GENERATIONアジカン)」とのコラボ企画のキャンペーンを指す。同バンドが2004年に出した2枚目のアルバム「ソルファ」の再レコーディング盤を11月30日に発売したことに合わせて、特設ページ上にmixiユーザー自身と、自身と友人設定をしている「マイミク」の2004年ごろの日記を表示している。

なお、ページに表示される日記はユーザーごとに異なり、設定されている公開範囲を越えて日記が公開されることはないという。実態を知ったmixiユーザーからは「大騒ぎするほどではない」と冷静な声も出ている。

 

TwitterのマイTLではそれほど騒いでいる人はいなかったが、昔のものを振り返るのはわりと好きなのでかなり久々にmixiにログインしてみた。PASSを忘れてたよ。

まあ2003年頃から書いてるこのBlogをまだ続けてるくらいなので、別に昔の日記を改めて公開されても特に恥ずかしいところはない。だが、すでに故人となってしまった人とのやり取りなんかが出てくると、いろいろと胸に去来するものがあるな。

 

で、いくつか見てたら、2005年の元旦に鶴見線の海芝浦駅*1で初日の出を見たという日記があった。当時持ってた機種名も忘れた安いデジカメ(確か33万画素とかだったはず)で撮影した写真が貼られていて、日記のタイトルが「セカイ・海芝浦」だった。その日記に付いてたマイミクとのやり取りを見る限り、当時は正直「セカイ系」っていう言葉の意味をよくわかってなかったと思うのだが、写真を見ると、これは今なら新海マコティックとでも表現すべき光景なのかなと思ったので、メモ代わりに貼っておく。どうやら元画像がローカルのHDDからも失われているっぽいので。

 

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到着してすぐ。なんとなくノリで行ったのだが、同じことを考えた人がそこそこいたようで、ホームには10人前後はいたように思う。曇ってて初日の出は拝めなさそう……と落胆してたのだが……

 

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雲間から徐々に光が差してきてこんな光景に。この後、本格的に太陽が出てきたときは本当に神々しい光景になったので写真撮るどころじゃなかった(と、当時の日記に書いてる)。

関係ないけど、『君の名は。』はまだ見ていない。さすがにそろそろ見に行くか。

 

セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史 (SB新書)

セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史 (SB新書)

 

*1:東芝京浜事業所の敷地内にあり、改札が工場の門になるため社員しか駅を出ることができない。が、一般客でもホームに下りることは可能。そしてホームが海に面していて向こう岸には工場群が見えるという不思議な風景のため、マスコミでもたびたび取り上げられる。

カメラおじさんになりつつある気がする

 

ここ数年、妻が会社のビンゴ大会でもらってきたNikon 1 J1の標準ズームレンズキットを使っていた。赤いメタルボディのタイプだ。シンプルなデザインは気に入っていたが、旅行のときか仕事でトレードショー関係の視察に行ったときのレポートくらいにしか使ってなかった。

そもそも、日常的に写真を撮るという習慣がまったくなかったのだ。携帯、スマフォのカメラもあまり使わないのに、わざわざ撮影専用の機材を持ち歩いて写真を撮るというのが身につくはずもないといえばそのとおりだ。

それでもまあ、Eyefi Mobiを買ってスマフォとの写真共有が簡単になったのに感動したり*1、みんなが「フィルター」を買ってるのは写真に色味とかを付加するためじゃなくレンズを保護するためだったのか! と遅ればせながら気づいて購入、いちいちレンズキャップを付けたり外したりしなくてもいいので取り回しがすごく良くなって感動と、カメラにあまり関心がない人なりに小さな感動を積み上げてきてはいた。でも「何かあるときに持ち出す」以上のものにはならなかった。

 

が、今年の春先に、うっかりミスで標準ズームレンズを壊してしまったんですね。それで、また標準レンズを買い直すのも馬鹿馬鹿しいし、トレードショーの暗い照明の中でレポ用写真撮るなら明るく撮れるやつがいいだろうということで、ちょっとだけ勉強して価格相場も調べて、単焦点の18.5mm f/1.8を買ったんですよ。安かったし。

 

 

そしたらまあ、うわーぜんぜん違うわー、と。レンズが違うだけで、こんな明るい、光の部分と影の部分の表現力が標準レンズとは段違いの、質感のある写真が撮れるもんなのかー、と。

 

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この2枚はレンズを買ってすぐのとき行った「コンテンツ東京2016」というトレードショーのVRコンテンツ関係のブースでのもの。えー! こんな薄暗いところでこんなにきっちりしたのが撮れるのー!? なんか報道写真っぽくね? すごくね? と一人で興奮してしまった。

 

というわけで、見事に撒き餌レンズに引っかかったのだった。以後は写真を撮るのが加速度的に楽しくなり、休日は特に目的がなくてもカメラを持ち歩くようになった。それと、赤いボディのJ1と黒くてプラスティッキーにつるんとしていてあまりレンズっぽくない18.5mm f/1.8の組み合わせが予想外にかっこよく見えたのもヤバかった。ヤバい。かっこいい……調べてみるとカメラの外見を自分好みにカスタマイズ、ドレスアップするという趣味もあるらしく、いやあいろいろな世界があるものだ。というわけで俺も軽く影響されてバヨネットフードとストラップを買ってみた。

 

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バヨネットフードって名前からしてかっちょいいもんね。「バヨネット」だもん。銃剣だぜ銃剣。あとストラップの色をどうするかいろいろ迷ったのだが敢えてこのオリーブグリーンとこの……何? 矢印? みたいな組み合わせのやつにすることで、なにかこう、ミリタリーっぽいような、なんか、この赤いメタリックなのとプラスティッキーな黒いのとで、これはなんか、なんかすごくかっこいい……。あ、J1用のグリップ自体は前から装着してました。手が小さいからこれないとカメラ落としてしまう。あと後ろに写っている飲み物は麦茶ではなくアフリカのお茶・ルイボスティーです。おしゃれですね。ティッシュクリネックス派です。

あと、いろいろ調べてたらHOLGAのレンズ部分をデジカメ用交換レンズにしたやつが何年か前に販売されていたのを知り、Nikon 1用のもまだ在庫があるというので買ってしまった。3000円だし。

 

HOLGA ニコン1用HOLGAレンズ【HL-N1】

HOLGA ニコン1用HOLGAレンズ【HL-N1】

 

 

全部プラスチックでできた完全なるおもちゃだし、フィルムのトイカメラで特徴的な周辺光量不足のあの感じは「ブラックコーナーエフェクター」なんて大層な名前が付いてるけど要はピンホールのプレートを一枚噛ませただけの機構で再現したり*2オートフォーカスなんてもちろん使えなくてマニュアルでしか撮れなくなるし、基本ピーカンの屋外でしか撮れないけど、まあこれが楽しい。夏の強い日差しの中に持って行っていろいろシャッタースピードを弄って試行錯誤するのがとても面白かった。「いかにもフィルムのトイカメラらしいローファイな色味」という点では昔買ったトイデジカメ・VISTA QUEST VQ1005のほうがそれっぽくて面白いのが撮れたのだが(当時書いたエントリ→123)、こっちは撮ることそのものがなんだか楽しい。オラ! 撮ったの見てくれよ! 見せられても困るようなもんしか撮ってねえけど。

 

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地面に写った自分の影を撮るおじさん。女子大生のInstagramか! だが影のボリューム感が確かな中年力(ちゅうねん・ちから)を放射している。

 

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空を撮るおじさん。これも女子大生のInstagramっぽいけど、おっさんにも多い気がする。

 

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錆の浮かんだパイプを撮るおじさん。いるよねー。とりあえず撮るよね。

 

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廃屋っぽい民家の割れたままほっとかれた窓ガラスを撮るおじさん。いるよねー。真夏に撮ってるはずなのにKO-KO-ROが荒むほど寒々しい絵だね。

そんでHOLGAレンズを装着したNikon 1 J1の姿はこれ。

 

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かわいい! おしゃれ! なんなのこれ! 「カメラが趣味になると、カメラを撮るカメラが欲しくなる」とどこかのBlogで読んだ気がするけど、今それすごくわかるわ……iPhoneのカメラじゃないので撮りたくなるわ……あ、後ろに写ってるオレンジのはおしゃれな鍋敷きです。なんか鋳物みたいのでできててルクルーゼの鍋みたく重い。たぶん人を殺せる。

 

まあそんな感じのことをしばらくしていたわけだが、明るい単焦点レンズの次は望遠レンズが欲しくなる。どうしようかいろいろ悩んでいたのだが、そもそもNikon 1 用の1 NIKKORレンズはラインナップが少ないので、自ずと選択肢は限られる。

で、まあ悩んでいたところで選択肢が増えるわけでもなし、PlayStation VR用にしていた貯金を「ぜんぜん追加出荷分のアナウンスも出ないし、とりあえず後回しか」と望遠レンズ(10mm-100mm、35mm換算で27mm-270mmのやつ)にぶっ込んでみた。

 

 

さすがに撒き餌レンズとは違う高級感がある。関係ないけどカメラ関係のレビュー読んでると「塊感」って言葉がけっこう多用される印象がある。塊感ってなんだよって思ってたが、今ならわかる。これ、塊感あるよ。わかるよこれ……ただ一つのことだけわかっている。私は盲目であったが、今は見えるということが(ヨハネ 9:25)。ほら、カメラの写真だ! 見ろよ!

 

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カメラのボディに対してレンズの大きさのバランスがZZのあたりのモビルスーツっぽい! いやガンダム詳しくないんで雑な印象ですが。なんかあのー、アニメには出てこないけど関連する小説とかマンガとかゲームとかではちらっと言及されてた試作機とか改造機をプラモ化しました! みたいなやつの若干やりすぎた感に近いバランスを感じる。特にバヨネットフードのあたりが。これ沈胴なのでズームするとさらにニョキニョキ伸びてある種の暴力性を感じるフォルムになってすごいの。首から提げてるとレンズが前に突き出てなんか攻撃的な印象をすれ違う人に与えるような気がしたので、レンズが下を向くように片手でクイッと押さえながら歩くのが、拳銃の銃口を下げて構えたままダッシュするFBIの人みたいでかっこいいなあと思いました(夢見がちすぎる)。

でも、望遠側はあんまり使わず、広角側の画角で風景を撮るのがなんか新鮮で面白いなー、ぜんぜん違う構図で撮れるんだなー、J1は歪み補正機能がないからワイド端だと端っこがけっこう歪むんだけど、この歪んでるのがなんかダイナミックな感じがして面白いなーなんてことを思っていたところで路地裏で野良猫を発見。よし、上級職・ねこちゃん撮りおじさんに転職してみるか……谷根千でカメラ片手に野良猫と戯れる的な存在になるのも夢じゃないぜ……と撮り始めたとき、エウレカが訪れた。なるほど! ここで猫が逃げない距離のままズームすることですごい寄った写真が撮れるのか! なんでみんなあんな近くで猫撮れるんだろうかよっぽど猫に好かれやすい体質なんだろうかと疑問だったのがやっとわかった。ていうかそんなレベルかよという話ですが、まあ自分で気づくのは楽しい。気づきに感謝系のアレがある。

 

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というわけでけっこうな速度でカメラおじさんになりつつある気がする。まあ「おじさん」とかブリッ子的な自称をしてはいけないな。カメラ中年男性だよ。カメラを持った中年男性が街を徘徊しているんだよ。声かけ事案に発展しないことを祈る。

*1:今でこそデジカメにWi-Fiが搭載されているのなんて当たり前だろうが、Nikon 1 J1の頃にはまだ珍しかったのだ。

*2:わりとわざとらしい感じに周辺光量不足になる。

『Re:ゼロから始める異世界生活』18話までの感想

ここ一年くらいですっかり、リアルタイムでは深夜アニメを見なくなってしまった。元々、「この分野の文化についてよく知らないのだから勉強しなくては」みたいなある意味不純な動機で深夜アニメを意識的に見始めたという経緯があるのだが、40歳に近付いてきたからか、なんかこう、もういいかなあという気分になってしまい、ぱたりと見なくなったのだった。なんていうか……見ていて疲れるんだよね。リアルタイムでちゃんと見ていたのは『アイドルマスター シンデレラガールズ』が最後かな。あれで燃え尽きたような気もする。以後は、人の評判を聞いて数年前に放映されていたものを配信などで後追いで見る、くらいの熱量になった。

そんなわけなので、ついこないだまでまったく知らなかったのだが何故か同時期に複数人の友人から勧められたので『Re:ゼロから始める異世界生活』を見始めた。ある日Amazonプライムビデオの新規配信タイトルを眺めていたらラインナップにあったので、ちょうどいい機会だとウォッチリストに入れ、それからしばらくたってやっと見始めた……くらいの期待値だった。

が、Amazonプライムビデオの一話見終わるとすぐに次のエピソードが再生されるシステムと、各話の最後に必ず大きなヒキがある作品自体の構成でなかなかやめ時が見つからず、休日に一気に15話まで見てしまった。その後、平日の寝る前に一話だけ見るかと思ったらちょうど山場だったので18話まで見てしまい、寝るタイミングを失ったりした。おもしろーい。オンエアで毎週楽しみに見るのもいいのだろうけど、これはVoD時代の一気見に最適化された作りのようにも思える。まあそれは穿ち過ぎか。

 

一話を見た時点では、「異世界転生」を速攻で受け入れる主人公に対して、おお……これが……現代の……フィクション……と苦笑しかけた。が、異世界転生フォーマットの物語が溢れているなろう小説という原作の出自によるもの、というのもあるだろうが、よくよく考えれば、我々の今いる世界に住む「ネット親和性の高いオタクがかった若者」を主人公とするフィクションであれば、主人公が「異世界転生」や「時間ループ」をすんなり理解して受け入れるというのが、ある意味で正しいリアリティなのかもしれない。それこそ現代を舞台にしたゾンビや吸血鬼ものであれば、人々が映画などでそれらのモンスターの習性や弱点をあらかじめ知っているので、「現実」の化物に対してもそれに沿った対策を練って行動するほうがリアリティがある、というのに近い感じか(フィクション仕込みの知識が裏切られる、というのもよくあるひねりの入れ方だ)。

もしも今、「異世界転生」を受け入れられない主人公を描くなら、亀という生物の存在しない平成ガメラ円谷英二がいなかった世界線の『シン・ゴジラ』のように、「小説家になろう」が存在しない世界というのを設定しないといけないのかもしれない

 

まあそんなことはともかく。主人公は現実世界では引きこもりの若者だったのに異世界転生後はリプレイ能力を駆使して男前やなー熱血ヒーローやんけー、っていう10話くらいまでも面白かったが、若さ故の調子こきによって窮地に立たされ小人物ぶりを発揮、いろいろ酷い目にも会ってこれはつらいね……となってからの話がとても面白い。

見る前になんとなく聞き及んでいた「途中で正ヒロインが変わる」っていう件については、10話まででも、あーこれかーと思った。が、オタ人気的には確かにこっちの子が正ヒロインっぽく見えるのはわかるけど、物語のスジとしてはそうなってないよね、ならまあサブヒロインに人気が集まるってのはよくある話だし別に……と思いきや、ギュイイインと音が聞こえるほどの勢いで物語がサブヒロインに向かってハンドルを切り始めるのでスリリング。超スリリング! このままでは物語的にも正ヒロインが変わってしまう、どうするんや……とハラハラしながら本放映時に話題を集めたらしい18話を見ると……思いっきり余韻を残す形でサブヒロインが自ら身を引いた。

ははあなるほど、ラブコメのシリアス局面で最も美味しい役どころであるところの “自ら身を引くライバルヒロイン” 役をあてがうのか、と。物語内では敗退するけど観客の切なさを刺激することで多大な人気を得る、試合に負けて勝負に勝たせる的な花の持たせ方で処理しようというのか、なるほどなるほど……と思ってたらそこでさらに踏み込みがあって、サブヒロインの身の引き方が健気すぎるんで逆に主人公が大反省、そっちにフラフラ行ってたのはつまるところ現実逃避、保身、異世界転生してうまいことやってた風だけどイキってただけなんやと慟哭。さらにそれに応えてサブヒロインが、あなたの中ではそうだったかもしれないが「私」はあなたの違う面を見ていたし、そうやって私が見ていた「あなた」はやはり愛おしい存在だったとこちらも真正面から打ちに行きます。

……これね、“異世界転生” ジャンルフィクションの “キャラクター” として機能しているにすぎなかった主人公に「内面」を発見=見つめさせ、そのうえでさらに自己の内面とは別個に存在する「他者」と、その他者からのまなざしによって発見される「自己の内面」とはまた別に存在する/してしまう「あなた」としての自分、……をも提示するという、とても誠実だと思うし感動的でもあるんだけど、ここでこの2人にそれを深掘りさせちゃうとこいつらの「内面」強度が極端に上がって、正ヒロインルートにハンドルを戻した後にそっちが見劣りしちゃわないかと……いや、そこがまたスリリングだと思いました。どうするんだ? どうなっちゃうの? おもしろーい!

とりあえず18話最後の台詞がいわゆる「ドヤ!」というあれ(最後にタイトルが出る系のアレ。みんな好きなやつ)だったので、よし、今日はここまででいいだろう、と視聴を止めました。続きは最終話まで配信に入ってから一気見しようかな。