NGM+その他の欲望

日々のサムシングについてのスクラップブック。

megabbs「デザエモンplusセレクト100の全ゲーム評価」ログをUP

アクセス解析を見ていると、月にだいたい10人くらいが「デザエモンKids」というような検索ワードで飛んできてくれている。だいぶ前に書いた『デザエモンKids!』のおまけSTG 100本というエントリが検索結果にヒットしているわけだ。

後続作品が出なくなって久しいので一応説明しておくと、『デザエモン』シリーズはオリジナルのシューティングゲームを制作できるコンストラクションソフト。前述のエントリにも書いているが、PS1でリリースされた『デザエモンKids!』には、おまけとして前作『デザエモン+』の発売時に行われた自作シューティングコンテスト優秀作が100本収録されている。

おまけと書いたが、今わざわざ『デザエモンKids!』を探して遊ぶ人は、シューティングゲームを自作したいからというよりも、このおまけ100本を遊びたいからというのが主目的なんではないだろうか。ちなみに、コンテスト時には「一般部門」と「プロ部門」に分けて募集していたそうなのだが、このおまけ100本はその両方から優秀作100本を選出している。そんなわけでヴァニラウェアのシガタケ氏や、さんたるること並木学氏などの名前もあったりして、そこらへんも面白いところだ(あと、真偽不明ではあるが「GYERONITTICA」という作品のグラフィックは沙村広明氏なのではないかという噂もある)。

で、前述の過去エントリでは、かつてmegabbsに立てられた「デザエモンplusセレクト100の全ゲーム評価」というスレッドについて言及している。「ほえ◆HOE/CXSI」氏という人が、スレタイのとおり『デザエモンKids!』収録のおまけである「デザエモン+ セレクト100」の全作品についてレビューしたもので、当時の俺はこれを読んで『デザエモンKids!』を買いに走ったのだった。2003年のことだから、もう10年前か。

その後、2008年にmegabbsは閉鎖されているのでこのスレッドを見ることはできなくなったのだが、読んだ当時保存したログが手元にある。「ほえ◆HOE/CXSI」氏がスレッドを立てて10年経っているし、未だ検索で来る人もいるので、勝手ながらこのログを公開させてもらおうと思う(もし「ほえ◆HOE/CXSI」氏がここを見ていて問題と思われたら、即削除しますのでご連絡ください)。

DezaemonPlusSelect100AllRevue.html 直

デザエモンKids!』のパッケージ版を今入手するのは少々骨が折れるかもしれないが、ありがたいことにPSNのゲームアーカイブスで配信中だPS3/PSP/PS Vitaで手軽に遊べる。600円。

※2014/01/05追記:配信中と書いたが、残念ながら2013年12月11日に『デザエモン』シリーズの開発元であるアテナが破産手続を開始、間を置かず同社が配信していたタイトルは軒並み配信停止となった(Web上のゲームアーカイブスのページはまだ存在するようだが、PS Storeからダウンロードはできなくなっている)。しょうがないからみんな中古屋を探そう! ちなみにアテナがゲームアーカイブスで配信していたPS1タイトルには他にも『マネーアイドル エクスチェンジャー』などがあった。エクスチェンジャー、たまにやりたくなるんだよね。DLしといてよかったぜ……。

※2015/10/28追記:と思ったら、別の会社に権利が譲渡されたらしく、またPS Storeで買えるようになってた! 良かったね。

デザエモンKids! スーパーライト1500

デザエモンKids! スーパーライト1500

 

トポルはローラン・トポールではなかった

今日勘違いに気づいて、個人的にかなり衝撃だったのでメモしておく。キャロル・リードの『フォロー・ミー』に出ている「トポル」という役者を、俺はずっと『ファンタスティック・プラネット』とか『幻の下宿人』のローラン・トポールと同一人物だとばかり思っていた! いったいどこで勘違いしたんだろう……いや、言い訳じゃないけど、なんか本で読んだ気がするんだよね……「え、そうだったのか!」って驚いた記憶があるので……。まあ本に書いていたのはたぶん違うことで、俺がそれを読んで早とちりしただけなんだろうけどさ。ちなみに『フォロー・ミー』のほうのトポルは「Topol」で、ローラン・トポールは「Topor」でした。






フォロー・ミー【Blu-ray】

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もっとシャマランしてもええんやで、むしろわしらそれを待ってるんや『アフター・アース』

日本での宣伝展開で「監督:M・ナイト・シャマラン」というワードを一切露出させない戦略が取られたそうだが、いやまあ、しょうがない気もするんだ。映画好きの中でも正直なところ好き嫌いがはっきり分かれる人だし*1、近々の作品がどれもあまり褒められたできじゃないのはファンでも認めざるを得ない。でも新作が来れば見に行きますよそれは。予告編を見る限りだと、これは逆『地球の長い午後』みたいな話なのかしらん? とちょっと期待するところもあったし。





この予告編はいいよねー。

遠い未来、人類は荒廃した地球を脱出して新天地ノヴァ・プライムへと移住した。しかしその惑星を「聖地」とみなす異星の種族との間に激しい戦争が勃発する。異星種族は生物兵器「アーサ」をノヴァ・プライムに投入する。アーサは人類が恐怖を感じたときに分泌するフェロモンを感知し、執拗に攻撃をする習性を持っていた。劣勢に立たされた人類だったが、レンジャー部隊の総司令サイファ・レイジ(ウィル・スミス)は「恐怖」の感情を克服、そのフェロモンでしか敵を感知できないアーサにとって彼は姿の見えない「ゴースト」となった。サイファの指揮によりレンジャー部隊は恐怖を克服しアーサに気づかれない能力=ゴースティングを身につけ、戦況を覆していった。
サイファの息子・キタイ(ジェイデン・スミス)はレンジャー候補生。14歳を目前にして正式なレンジャーとなるための試験を受けるが、能力は十分なものの作戦時の無謀さを指摘され不合格に。偉大すぎる父親の存在と、過去のある出来事からどうしてもレンジャーになりたいキタイは強く挫折感を抱き、久々に帰宅したサイファとの関係もギクシャクしたものに。妻に「指揮官ではなく父親として息子に接するべき」と諭されたサイファは、次の任務へキタイを連れていく。辺境の惑星での訓練指導という軽い任務、サイファにとっては息子との小旅行程度のつもりだった。しかし、航行中の事故により宇宙船はある惑星に墜落する。そこは1000年前に人類が捨てた星、今や人類が生きるにはあまりにも苛酷な環境となった「最上級危険惑星」――地球だった。

というわけでわりと予断を持って臨んだわけだが、ストレートなSF冒険成長物語/父と子の物語、になっていたので個人的にはやや肩透かし。いや、でもぜんぜん悪くはないよ。悪くはないんだが……。

物語の語り口に強度が足りないのは如何ともしがたい。これはやはり、原案担当のウィル・スミスのための(いや、正確に言えばスミス親子のための)映画であり、ウィル・スミスが息子に語りたい物語、というところに足を引っ張られたのだろう。別に父として息子に語りたいこと(を映画にする)という行為自体は何ら批難されるものじゃあないだろうけど、なんつうんですか、やっぱシャマラン的に遠慮というか気遣いというか、言うなりゃ「顔色見てる」部分が出てきちゃってて、そこらへんが語りの強度を低める結果に繋がってるんじゃないか。

まあ具体的に言えば、アヴァンタイトルで、お、すでに状況が始まっているところからのスタート、短いカットワークでの不親切な説明、いいね! とアゲといてからの、「では、物語の設定をモノローグで説明します」という素人じみた処理。上で頑張って「あらすじ」っぽいもの書きましたが、一段落目まではここで「設定」として説明されるんですね。あそこはさー、ちゃんと脚本も書いてるんだからさー、もっといろいろスマートにできるだろうよーという。

いや、別にシャマランの映画に語り口の「強度」を期待しているわけではない。実際のとこ、そこはずっと弱い。いつも綱渡りしてるようだ。でも、その弱さを誤魔化すような、いや誤魔化すなんて言葉が悪いか、その弱さを気にさせないような、語り=騙りの流麗さが確かにあって、私はそこが好きだったのだ(もちろんここで言う「騙り」とは、いわゆる「どんでん返し」のことではないよ)。そこらへんがこの映画には弱い。

物語のテーマ的には確かに今までの作品でもずっと言ってきたことの変奏ないし繰り返しであるし、ベースとして会話主導でストーリーが進行するところもいつものシャマラン節ではあるので、なおさら語り口の弱さというかたどたどしい部分が気になった。ただ、シャマランの名前を無視できるのであれば、大傑作とかではないけれど、普通に楽しく観賞できるSF冒険成長物語ではあるだろう。父親と息子の物語としても、少々時代錯誤に見えるくらいの、古き良き安定したお話です。

*1:「作家」として好きな人と「気取ってるだけのパクリ屋」と貶す人に分かれる。俺はどっちかっていうと、お話のベースはパスティーシュとか二次創作的な手法で持ってきて語り方で勝負する人、という印象を持っていて、作家的な職人だと思っている。

Kindleオリジナル小説『お前たちの中に鬼がいる』を読んだ

Amazonのユーザーレビューはもとより、一部のネット界隈でも妙に評判が良い(でもまだ藤井太洋Gene Mapper』ほど広く話題になっているわけではない)梅原涼『お前たちの中に鬼がいる』を読んでみた。昨年末にKindleオリジナルとして、(たぶん)個人で電子出版された小説だ。

レビューで多くの人が指摘していることとして、「この値段でこのボリュームはすごい!」というのがある。うーん、小説でコストパフォーマンスについて言われてもねえ……とか若干鼻白んだのだが、Amazonの紹介ページによれば仮に紙の文庫本なら400ページ弱もある長さで、オリジナルの電子書籍としては異例のボリュームであることは確かだ。そしてそのボリュームにも関わらず99円というかなり思い切った価格で売られているので、俺も白んだ鼻を速攻で真っ赤にして1クリックで購入してしまったというわけだ。コスパ! CP! 知らない奴は損をする!

まあそれはともかく。粗筋は以下のような感じ。

目が醒めると、須永はどこともしれない部屋にいた。机と椅子だけの殺風景な部屋。どうしてこんなところにいるのか、何もわからない、思い出せない。それどころか、記憶が混濁していて、自分の名前以外のことは曖昧にしか思い出せない。混乱する須永は、部屋に置かれた机に奇妙な一文が書き残されているのを見つける。
「お前たちの中に鬼がいる」
鬼とは何か? 「お前たち」とは? 部屋から出ると、薄暗い地下施設の中には他に五つの施錠された部屋があった。それぞれの室内には手錠で繋がれた五人の人物。須永同様、どうしてここへ来たのかは思い出せないようだが、それぞれが何かの情報を、あるいは兇悪な意図を隠しているように見える……そして須永も、突発的に己の中で爆発する暴力衝動を抑えられないことに気づいていた。あいつら5人の中に、いや、俺も含めたこの6人の中に、「鬼」がいるのか……?


Amazonの(たぶん著者自身が書いたであろう)内容紹介では、「レトロゲームの不条理さをモチーフにしたホラー小説」と書かれているが、確かに往年の、まだコマンド選択ではなくキーボードから直接コマンド入力していた時代のアドベンチャーゲームのような不条理な謎解き風味はある(でもあくまでモチーフだから、別にビデオゲームがテーマとかではないよ。為念)。

不条理状況下で繰り広げられるデスゲームとかソリッドシチュエーションスリラーとかは、正直なところ個人的にはあんまり好きじゃない(『SAW』以降のやつは特に)。なんていうんですかね、作者の幼稚なシニシズムが透けて見えるところが嫌なんだよね。人間は利己的ですぐにお互いを攻撃しあうのだ、世界はこんなにも醜いのだ……みたいな薄っぺらい観念を特に味付けせずに直接出しちゃって神気取りで独り悦に入っちゃう感じでね。いや、それお前が作った世界での話だから、マッチポンプだから! とイライラしてしまう(まあ野暮なツッコミだというのは承知しているが、でもさ)。

なので、この作品もそんな感じかなーという予断があり、99円なので思わず買ってしまったもののちょっと読み始めるまで積んでいたのだった。が、重い腰を上げて読んでみたら電子書籍用の小説だということをかなり意識して書かれているようでリーダビリティがたいへん良く、一気読みしてしまった。この手のジャンルの定型をちょっとずつ外していって最終的にはずいぶん違った地点に着地する展開や伏線回収の手際の良さなども特筆すべき点だ。いや、これはなかなか侮れない。


※2013/10/13 追記: このエントリ冒頭に貼っていたAmazonへのリンクが切れているのに気づいた。本日時点で、すでにAmazonではKindle版の取扱が中止され、商品ページもなくなっている。あれ、公開停止したのかな……と思って検索してみると、なんと11月に主婦の友社から内容改訂の上で単行本化されるとのこと。ほほー。

お前たちの中に鬼がいる

お前たちの中に鬼がいる


さて、なるべく粗筋程度の事前知識で読み始めたほうが楽しめると思うが、読了して思いついたことを以下にメモしておく。直接的には書かないけど勘のいい人ならネタバレの危険性が高いので注意。




著者はプロの作家の変名ではないかという噂を見かけたが、なんとなく小説作家ではなく、ある種のゲームのシナリオライターっぽいなーとは思った。ここで言う「ある種のゲーム」っていうのは、ある市場のゲームの、ひとつのジャンルというか流れに属する作品群を俺は想起している。物語内の人物配置にも関わらずキャラクター造形から「そういったジャンル」の匂いが比較的希薄なのは、これは逆にそういったジャンルの定型を踏まないよう気を使ったように見受けられるし、終盤で一気に伏線回収すると共に登場人物たちのアレが解決されることでナニになる、という話の運び方、オチの付け方……まあそのジャンルのシナリオライターなんじゃないかというのはちょっと穿ち過ぎな読みかもしれないけど、そのジャンルの作品群からの影響は高確率であるとは思った。

『WORLD WAR Z』が予告編だとどんな話かわかりずらくないか?

マックス・ブルックス*1の小説『WORLD WAR Z』は、いかにも「俺たちボンクラオタクがかっちょいいと思うゾンビパンデミックシミュレーション小説!」って感じで、正直なとこちょっと個人的には鼻について乗り切れない部分もあったものの、まあなかなか面白い作品ではあった。

全世界的なゾンビ禍で人類の文明がガタガタになってしまうほどの大混乱の後、なんとか復興の途について10年後。「あの災厄」を後世に伝えるため、ということで世界各地の市井の人々や政府・軍の要人などに当時のことを語ってもらったインタビュー集……という設定。短めの短篇小説程度の長さのインタビューを積み重ね、個人個人の体験というミクロの集積としてゾンビ禍というマクロな事態を語る、オーラル・ヒストリー的手法のモキュメンタリー小説だ。ジャンル・ホラー小説的なエンタメ要素はそこまで強く押し出さず、ゾンビ禍によって世界はどう変化したのかを描く内容なので、スケールはでかいが地味といえば地味なお話。

で、これが映画化されるって話は邦訳が出た当時からあったけど、でも読んだ人のほとんどは「こりゃ映画には向かないだろう」と思っただろう。2時間くらいにまとめるのが無理な構造なんだから当たり前だ。せめてテレビドラマのミニシリーズくらいのボリュームがないと、これを原作として映像化する意味がないとも言える。で、案の定かなり原作から改変されて、ヒーロー的な主人公がゾンビ禍の真っ最中に世界各地を回って奮闘する話になったらしい。別にこれが原作じゃなくてもいいんじゃないか……。

まあそれはともかく。聞いた話だと、宣伝で「ゾンビ」というワードは使わないという方針らしい。『ドーン・オブ・ザ・デッド』とか『28日後……』でもそうだったし、まあ別にその方針自体はいいんだけどさ*2、この予告編だと、原作を知らない人にはそもそも何が起こってるのかよくわからないと思うんだが……なんの戦争? っていう。最後あたりでばばーっと出てくる暴徒みたいの何? みたいな。日本だけなのかなと思ったらアメリカ版のトレイラーもほとんど同じ感じなんだよね。まああっちでは原作の知名度が日本よりももっとずっと高いだろうからこれでもいいのかもしれないけど。



WORLD WAR Z〈上〉 (文春文庫)

WORLD WAR Z〈上〉 (文春文庫)

WORLD WAR Z〈下〉 (文春文庫)

WORLD WAR Z〈下〉 (文春文庫)


あ、Kindle版も出てるのか。大部だからKindleのほうが読みやすいかも。

WORLD WAR Z(上)

WORLD WAR Z(上)

WORLD WAR Z(下)

WORLD WAR Z(下)

*1:メル・ブルックスアン・バンクロフトの息子

*2:別にジャンルのファンじゃないマスに向けて訴求しなきゃいけないとき、切り捨てるものは必ず出てくる。ジャンル・ファン的にもどかしい部分がないと言えば嘘になるけど、そういう奴らはどっちみち見に行くわけだから、あまりやいのやいの言うのも野暮だと俺は思うんだよね。

クロエ・モレッツと沢城みゆき

PS3The Last of Us』でプレイヤーキャラ(おっさん)と行動を共にする女の子NPC*1、日本語版での吹き替えは『モールス』でクロエ・グレース・モレッツの吹き替えをしていた潘めぐみなのかー。クロエ・モレッツ繋がりってわけじゃないけど、個人的には『キック・アス』でクロエ・モレッツ=ヒットガールの吹き替えをしていた沢城みゆきだといいなと思ってた。

すでにTwitterとかで何回も言ってる気がするが、ヒットガール=クロエ・モレッツ=沢城みゆきは、なんつうか最高だけどトゥーマッチ、でも最高! という感じで、ウニ丼に零れ落ちるほどイクラ山盛りにしたうえにフォアグラのソテー乗っけてるような事態やでこれはー、お前こんなもん喰ってたら死ぬで? 足の親指から腐りはじめて死ぬんやで? えぇ? と思いました。 映画版『キック・アス』は実質的にヒットガール(とビッグダディ)のための映画だけど*2、これねー、吹き替え版の沢城クロエと内田直哉ニコラス・ケイジはマジ最高だったね。大人声の沢城みゆきもいいけど、ローティーンの女の子声もいいよなー。いや、映画自体は俺あんまり好きじゃないんですけどね。沢城クロエが出てくるところではだいたいニコニコしてました。今流行りの言葉でいうところの「ニッコニコー!」というやつでしょうか? ごめん元ネタ知らないんだけど。

*1:初出時はエレン・ペイジに似てるって言われてたけど、実際に彼女をフェイシャル/モーションキャプチャーに迎えた『Beyond:TwoSouls』が発表されてからはあんまり言われなくなった印象。

*2:そしてその部分に関して倫理的にたいへん危うい映画なのだけど、その危うさってのは題材そのものの危うさじゃなく、題材の不穏さに対して描き方が大事なところで腰が引けているというか、ナアナアにして逃げてごまかしていることによって意図せず滲み出ている危うさだ