NGM+その他の欲望

日々のサムシングについてのスクラップブック。

カメラおじさんになりつつある気がする

 

ここ数年、妻が会社のビンゴ大会でもらってきたNikon 1 J1の標準ズームレンズキットを使っていた。赤いメタルボディのタイプだ。シンプルなデザインは気に入っていたが、旅行のときか仕事でトレードショー関係の視察に行ったときのレポートくらいにしか使ってなかった。

そもそも、日常的に写真を撮るという習慣がまったくなかったのだ。携帯、スマフォのカメラもあまり使わないのに、わざわざ撮影専用の機材を持ち歩いて写真を撮るというのが身につくはずもないといえばそのとおりだ。

それでもまあ、Eyefi Mobiを買ってスマフォとの写真共有が簡単になったのに感動したり*1、みんなが「フィルター」を買ってるのは写真に色味とかを付加するためじゃなくレンズを保護するためだったのか! と遅ればせながら気づいて購入、いちいちレンズキャップを付けたり外したりしなくてもいいので取り回しがすごく良くなって感動と、カメラにあまり関心がない人なりに小さな感動を積み上げてきてはいた。でも「何かあるときに持ち出す」以上のものにはならなかった。

 

が、今年の春先に、うっかりミスで標準ズームレンズを壊してしまったんですね。それで、また標準レンズを買い直すのも馬鹿馬鹿しいし、トレードショーの暗い照明の中でレポ用写真撮るなら明るく撮れるやつがいいだろうということで、ちょっとだけ勉強して価格相場も調べて、単焦点の18.5mm f/1.8を買ったんですよ。安かったし。

 

 

そしたらまあ、うわーぜんぜん違うわー、と。レンズが違うだけで、こんな明るい、光の部分と影の部分の表現力が標準レンズとは段違いの、質感のある写真が撮れるもんなのかー、と。

 

f:id:msrkb:20161129224349j:plain

f:id:msrkb:20161129224420j:plain

 

この2枚はレンズを買ってすぐのとき行った「コンテンツ東京2016」というトレードショーのVRコンテンツ関係のブースでのもの。えー! こんな薄暗いところでこんなにきっちりしたのが撮れるのー!? なんか報道写真っぽくね? すごくね? と一人で興奮してしまった。

 

というわけで、見事に撒き餌レンズに引っかかったのだった。以後は写真を撮るのが加速度的に楽しくなり、休日は特に目的がなくてもカメラを持ち歩くようになった。それと、赤いボディのJ1と黒くてプラスティッキーにつるんとしていてあまりレンズっぽくない18.5mm f/1.8の組み合わせが予想外にかっこよく見えたのもヤバかった。ヤバい。かっこいい……調べてみるとカメラの外見を自分好みにカスタマイズ、ドレスアップするという趣味もあるらしく、いやあいろいろな世界があるものだ。というわけで俺も軽く影響されてバヨネットフードとストラップを買ってみた。

 

f:id:msrkb:20161130015140j:plain

 

バヨネットフードって名前からしてかっちょいいもんね。「バヨネット」だもん。銃剣だぜ銃剣。あとストラップの色をどうするかいろいろ迷ったのだが敢えてこのオリーブグリーンとこの……何? 矢印? みたいな組み合わせのやつにすることで、なにかこう、ミリタリーっぽいような、なんか、この赤いメタリックなのとプラスティッキーな黒いのとで、これはなんか、なんかすごくかっこいい……。あ、J1用のグリップ自体は前から装着してました。手が小さいからこれないとカメラ落としてしまう。あと後ろに写っている飲み物は麦茶ではなくアフリカのお茶・ルイボスティーです。おしゃれですね。ティッシュクリネックス派です。

あと、いろいろ調べてたらHOLGAのレンズ部分をデジカメ用交換レンズにしたやつが何年か前に販売されていたのを知り、Nikon 1用のもまだ在庫があるというので買ってしまった。3000円だし。

 

HOLGA ニコン1用HOLGAレンズ【HL-N1】

HOLGA ニコン1用HOLGAレンズ【HL-N1】

 

 

全部プラスチックでできた完全なるおもちゃだし、フィルムのトイカメラで特徴的な周辺光量不足のあの感じは「ブラックコーナーエフェクター」なんて大層な名前が付いてるけど要はピンホールのプレートを一枚噛ませただけの機構で再現したり*2オートフォーカスなんてもちろん使えなくてマニュアルでしか撮れなくなるし、基本ピーカンの屋外でしか撮れないけど、まあこれが楽しい。夏の強い日差しの中に持って行っていろいろシャッタースピードを弄って試行錯誤するのがとても面白かった。「いかにもフィルムのトイカメラらしいローファイな色味」という点では昔買ったトイデジカメ・VISTA QUEST VQ1005のほうがそれっぽくて面白いのが撮れたのだが(当時書いたエントリ→123)、こっちは撮ることそのものがなんだか楽しい。オラ! 撮ったの見てくれよ! 見せられても困るようなもんしか撮ってねえけど。

 

f:id:msrkb:20161130030032j:plain

地面に写った自分の影を撮るおじさん。女子大生のInstagramか! だが影のボリューム感が確かな中年力(ちゅうねん・ちから)を放射している。

 

f:id:msrkb:20161130030403j:plain

空を撮るおじさん。これも女子大生のInstagramっぽいけど、おっさんにも多い気がする。

 

f:id:msrkb:20161130030822j:plain

錆の浮かんだパイプを撮るおじさん。いるよねー。とりあえず撮るよね。

 

f:id:msrkb:20161130031058j:plain

廃屋っぽい民家の割れたままほっとかれた窓ガラスを撮るおじさん。いるよねー。真夏に撮ってるはずなのにKO-KO-ROが荒むほど寒々しい絵だね。

そんでHOLGAレンズを装着したNikon 1 J1の姿はこれ。

 

f:id:msrkb:20161130031540j:plain

 

かわいい! おしゃれ! なんなのこれ! 「カメラが趣味になると、カメラを撮るカメラが欲しくなる」とどこかのBlogで読んだ気がするけど、今それすごくわかるわ……iPhoneのカメラじゃないので撮りたくなるわ……あ、後ろに写ってるオレンジのはおしゃれな鍋敷きです。なんか鋳物みたいのでできててルクルーゼの鍋みたく重い。たぶん人を殺せる。

 

まあそんな感じのことをしばらくしていたわけだが、明るい単焦点レンズの次は望遠レンズが欲しくなる。どうしようかいろいろ悩んでいたのだが、そもそもNikon 1 用の1 NIKKORレンズはラインナップが少ないので、自ずと選択肢は限られる。

で、まあ悩んでいたところで選択肢が増えるわけでもなし、PlayStation VR用にしていた貯金を「ぜんぜん追加出荷分のアナウンスも出ないし、とりあえず後回しか」と望遠レンズ(10mm-100mm、35mm換算で27mm-270mmのやつ)にぶっ込んでみた。

 

 

さすがに撒き餌レンズとは違う高級感がある。関係ないけどカメラ関係のレビュー読んでると「塊感」って言葉がけっこう多用される印象がある。塊感ってなんだよって思ってたが、今ならわかる。これ、塊感あるよ。わかるよこれ……ただ一つのことだけわかっている。私は盲目であったが、今は見えるということが(ヨハネ 9:25)。ほら、カメラの写真だ! 見ろよ!

 

f:id:msrkb:20161130035621j:plain

 

カメラのボディに対してレンズの大きさのバランスがZZのあたりのモビルスーツっぽい! いやガンダム詳しくないんで雑な印象ですが。なんかあのー、アニメには出てこないけど関連する小説とかマンガとかゲームとかではちらっと言及されてた試作機とか改造機をプラモ化しました! みたいなやつの若干やりすぎた感に近いバランスを感じる。特にバヨネットフードのあたりが。これ沈胴なのでズームするとさらにニョキニョキ伸びてある種の暴力性を感じるフォルムになってすごいの。首から提げてるとレンズが前に突き出てなんか攻撃的な印象をすれ違う人に与えるような気がしたので、レンズが下を向くように片手でクイッと押さえながら歩くのが、拳銃の銃口を下げて構えたままダッシュするFBIの人みたいでかっこいいなあと思いました(夢見がちすぎる)。

でも、望遠側はあんまり使わず、広角側の画角で風景を撮るのがなんか新鮮で面白いなー、ぜんぜん違う構図で撮れるんだなー、J1は歪み補正機能がないからワイド端だと端っこがけっこう歪むんだけど、この歪んでるのがなんかダイナミックな感じがして面白いなーなんてことを思っていたところで路地裏で野良猫を発見。よし、上級職・ねこちゃん撮りおじさんに転職してみるか……谷根千でカメラ片手に野良猫と戯れる的な存在になるのも夢じゃないぜ……と撮り始めたとき、エウレカが訪れた。なるほど! ここで猫が逃げない距離のままズームすることですごい寄った写真が撮れるのか! なんでみんなあんな近くで猫撮れるんだろうかよっぽど猫に好かれやすい体質なんだろうかと疑問だったのがやっとわかった。ていうかそんなレベルかよという話ですが、まあ自分で気づくのは楽しい。気づきに感謝系のアレがある。

 

f:id:msrkb:20161130035144j:plain

 

というわけでけっこうな速度でカメラおじさんになりつつある気がする。まあ「おじさん」とかブリッ子的な自称をしてはいけないな。カメラ中年男性だよ。カメラを持った中年男性が街を徘徊しているんだよ。声かけ事案に発展しないことを祈る。

*1:今でこそデジカメにWi-Fiが搭載されているのなんて当たり前だろうが、Nikon 1 J1の頃にはまだ珍しかったのだ。

*2:わりとわざとらしい感じに周辺光量不足になる。

X-ファイル 2016

X-ファイル 2016』第1話見た。これはヤバい。15年ぶりくらいで会った知人が集団ストーカー妄想に囚われていた、くらいのレベルのヤバさ。旧シリーズのあの雰囲気を復活させようとしたが、現代風のアップデートをまったくしなかったおかげで単なる古臭い陰謀論ドラマになってしまった感。語り口、話運びが妙にぼんやりしてるのもヤバさに拍車をかけている。電波の人の譫言のようだ。2016年に手打ちのHTMLで改行がぜんぜんない妄想を書き殴ってる人のようなヤバみがあった。

終盤の、エイリアンシップ模造船工場に軍隊が→爆発!、とか、逃げた女の車に緑のレーザーが→爆発!とか、異様に雑でびっくりした。雑といえば、冒頭のモルダーのモノローグで過去の事件の証拠写真を次々に見せるていのシーンで、番組宣伝用のスチールを使いまわしてるのも雑だなあと思いました。何かを探っているモルダーとスカリーを正面から捉えた写真とか、その写真は誰が撮ったんだよ! 川口浩探検隊かよ! と思ってしまう。普通に「前回までのX-ファイルは」形式で見せればいいのに。

厭なVRコンテンツ

最近は厭なVRゲーム/VRコンテンツをいろいろ妄想している。

お台場の「VR ZONE Project i Can」でプレイした『脱出病棟Ω』で、椅子に縛り付けられた状態で隣に並んだ人たちを、殺人鬼が順番に惨殺していく……というのを見せられる場面があって、あれはけっこう厭な感じだった。とうとう俺のとこに来る! というところで助けが来る、まあよくあるシチュエーションでその場面は終わる。

が、「逃れ得ない酷いことが “ゆっくり” と “確実に” やって来る」のをVRで見せられる、というか体験させられるのは、なんというかアトラクション的な「恐怖」=愉しみを逸脱しかねないプレッシャー、ストレスを与えるものなのだなと、やけに印象に残った。正直、他のシーンがあんまり怖くも感じられず肩透かしだったから、なおさらそこだけ妙に記憶に残っている。

そういう高ストレスな状況からプレイヤーを開放する手段を組み込まざるを得ないゲームより、殺してしまっても構わない映画のほうで、俺が感じた「あの感じ」は今後より効果的に生きてくるんではないかなと思う。つまりVR映画とかVRドラマだ。スピルバーグなんか好きそうじゃないですか、保留され、引き延ばされる「決定的な死の瞬間」みたいなの。『プライベート・ライアン』での、組み敷かれて抵抗するも力負けしてゆっくりと首筋に迫ってくるナイフのシーンとか、『ミュンヘン』での、改造拳銃で女スパイを撃つものの、口径が小さくて威力が弱いのでなかなか死なず、改造拳銃なので次の弾を込めるのに手間取るので思わず「ちょっと待ってろ」と言ってしまうところとか、ああいうの。

拳銃の弾切れと交換で言えば、スピルバーグではないけど『ザ・レイド』も厭だったな。冒頭でギャングのボスが猿轡にして並べた警官を次々に拳銃で処刑してくけど、最後の1人のとこで弾が尽きて「ちょっと待て」って言って拳銃を警官の肩に置いて替えの弾を探しに行くすげえ厭なシーンがあるじゃないですか。あの最後の1人になるのよ。VRで。

プライベート・ライアン [Blu-ray]

プライベート・ライアン [Blu-ray]

 
ミュンヘン [Blu-ray]

ミュンヘン [Blu-ray]

 
ザ・レイド Blu-ray

ザ・レイド Blu-ray

 

『Re:ゼロから始める異世界生活』18話までの感想

ここ一年くらいですっかり、リアルタイムでは深夜アニメを見なくなってしまった。元々、「この分野の文化についてよく知らないのだから勉強しなくては」みたいなある意味不純な動機で深夜アニメを意識的に見始めたという経緯があるのだが、40歳に近付いてきたからか、なんかこう、もういいかなあという気分になってしまい、ぱたりと見なくなったのだった。なんていうか……見ていて疲れるんだよね。リアルタイムでちゃんと見ていたのは『アイドルマスター シンデレラガールズ』が最後かな。あれで燃え尽きたような気もする。以後は、人の評判を聞いて数年前に放映されていたものを配信などで後追いで見る、くらいの熱量になった。

そんなわけなので、ついこないだまでまったく知らなかったのだが何故か同時期に複数人の友人から勧められたので『Re:ゼロから始める異世界生活』を見始めた。ある日Amazonプライムビデオの新規配信タイトルを眺めていたらラインナップにあったので、ちょうどいい機会だとウォッチリストに入れ、それからしばらくたってやっと見始めた……くらいの期待値だった。

が、Amazonプライムビデオの一話見終わるとすぐに次のエピソードが再生されるシステムと、各話の最後に必ず大きなヒキがある作品自体の構成でなかなかやめ時が見つからず、休日に一気に15話まで見てしまった。その後、平日の寝る前に一話だけ見るかと思ったらちょうど山場だったので18話まで見てしまい、寝るタイミングを失ったりした。おもしろーい。オンエアで毎週楽しみに見るのもいいのだろうけど、これはVoD時代の一気見に最適化された作りのようにも思える。まあそれは穿ち過ぎか。

 

一話を見た時点では、「異世界転生」を速攻で受け入れる主人公に対して、おお……これが……現代の……フィクション……と苦笑しかけた。が、異世界転生フォーマットの物語が溢れているなろう小説という原作の出自によるもの、というのもあるだろうが、よくよく考えれば、我々の今いる世界に住む「ネット親和性の高いオタクがかった若者」を主人公とするフィクションであれば、主人公が「異世界転生」や「時間ループ」をすんなり理解して受け入れるというのが、ある意味で正しいリアリティなのかもしれない。それこそ現代を舞台にしたゾンビや吸血鬼ものであれば、人々が映画などでそれらのモンスターの習性や弱点をあらかじめ知っているので、「現実」の化物に対してもそれに沿った対策を練って行動するほうがリアリティがある、というのに近い感じか(フィクション仕込みの知識が裏切られる、というのもよくあるひねりの入れ方だ)。

もしも今、「異世界転生」を受け入れられない主人公を描くなら、亀という生物の存在しない平成ガメラ円谷英二がいなかった世界線の『シン・ゴジラ』のように、「小説家になろう」が存在しない世界というのを設定しないといけないのかもしれない

 

まあそんなことはともかく。主人公は現実世界では引きこもりの若者だったのに異世界転生後はリプレイ能力を駆使して男前やなー熱血ヒーローやんけー、っていう10話くらいまでも面白かったが、若さ故の調子こきによって窮地に立たされ小人物ぶりを発揮、いろいろ酷い目にも会ってこれはつらいね……となってからの話がとても面白い。

見る前になんとなく聞き及んでいた「途中で正ヒロインが変わる」っていう件については、10話まででも、あーこれかーと思った。が、オタ人気的には確かにこっちの子が正ヒロインっぽく見えるのはわかるけど、物語のスジとしてはそうなってないよね、ならまあサブヒロインに人気が集まるってのはよくある話だし別に……と思いきや、ギュイイインと音が聞こえるほどの勢いで物語がサブヒロインに向かってハンドルを切り始めるのでスリリング。超スリリング! このままでは物語的にも正ヒロインが変わってしまう、どうするんや……とハラハラしながら本放映時に話題を集めたらしい18話を見ると……思いっきり余韻を残す形でサブヒロインが自ら身を引いた。

ははあなるほど、ラブコメのシリアス局面で最も美味しい役どころであるところの “自ら身を引くライバルヒロイン” 役をあてがうのか、と。物語内では敗退するけど観客の切なさを刺激することで多大な人気を得る、試合に負けて勝負に勝たせる的な花の持たせ方で処理しようというのか、なるほどなるほど……と思ってたらそこでさらに踏み込みがあって、サブヒロインの身の引き方が健気すぎるんで逆に主人公が大反省、そっちにフラフラ行ってたのはつまるところ現実逃避、保身、異世界転生してうまいことやってた風だけどイキってただけなんやと慟哭。さらにそれに応えてサブヒロインが、あなたの中ではそうだったかもしれないが「私」はあなたの違う面を見ていたし、そうやって私が見ていた「あなた」はやはり愛おしい存在だったとこちらも真正面から打ちに行きます。

……これね、“異世界転生” ジャンルフィクションの “キャラクター” として機能しているにすぎなかった主人公に「内面」を発見=見つめさせ、そのうえでさらに自己の内面とは別個に存在する「他者」と、その他者からのまなざしによって発見される「自己の内面」とはまた別に存在する/してしまう「あなた」としての自分、……をも提示するという、とても誠実だと思うし感動的でもあるんだけど、ここでこの2人にそれを深掘りさせちゃうとこいつらの「内面」強度が極端に上がって、正ヒロインルートにハンドルを戻した後にそっちが見劣りしちゃわないかと……いや、そこがまたスリリングだと思いました。どうするんだ? どうなっちゃうの? おもしろーい!

とりあえず18話最後の台詞がいわゆる「ドヤ!」というあれ(最後にタイトルが出る系のアレ。みんな好きなやつ)だったので、よし、今日はここまででいいだろう、と視聴を止めました。続きは最終話まで配信に入ってから一気見しようかな。

あなたにはクンフー以外が足りないわ

他の対戦格闘ゲームのキャラクターと比べてはもちろん、『バーチャファイター』シリーズ内においてさえ、アキラのマジもんっぽさはヤバい域にあるのではないかという話を後輩とした。SASUKEにのめり込みすぎて無職になる人と同じような空気がある。最初は応援していた周りの人たちも、最近はちょっとどう接したらいいのか計りかねているような、抜き差しならないところまでいってしまって本人もどうしたらいいのかわからないような雰囲気というか。

「10年早いんだよ!」と言っているうちに、周りの人たちは仕事でも中堅の位置になり、家族を持ち、財をなしている。時たま呼びかけに応じてショー的な「試合」に出る者はまだいるが、アキラのように修行だけをして日々を過ごしている者などいない。10年、いや20年以上も同じステージで足踏みしているのは自分のほうではないかと気づいたときには、もう四十路の折り返しに来ていた。

自分には親から受け継いだ結城道場があるというのが悪い意味での安心感となり、人生設計を真摯に考えねばならない時期をやり過ごしてしまったのかもしれない。ただただ強さを求める、そのシンプルな、求道的な生き方に誇りを持っているつもりでいたが、今思えばそこに世俗的で猥雑な「人生」を生きる面倒さからの逃避がなかっただろうか。

深夜、公園のブランコに腰掛け、そんなことをぼんやりと靄がかかった頭で考える。己に問いかける。Why…人はなぜ戦う? Yes…何処かで真実の自分に出逢うためさ。だが出逢いたくなかった、こんな自分とは。振り切るようにブランコを飛び降り、すり切れ垢じみた鉢巻きを締め直す。ふと、「愛が足りないぜ」というフレーズが口から漏れた。そうだ、そうなのだ。もしかしたら、それがずっと足りなかったのかもしれない、だからこうなってしまったのだ、などという心地の良い自己憐憫自己欺瞞に、今夜もまた、逃げ込む。

誰も待つ者のない、暗く黴臭い道場へ帰り、煎餅布団に潜り込む。目を閉じる。瞼の裏に広がるのは、電撃文庫ラノベヒロインたちや、やたらと肉感的なDoAの女キャラたちとの肉弾相打つ好バトル。あれはいつのことだったか。それとも、本当はそんなことなどなかったのか。だが、そんなのはもうどっちでもいいのではないだろうか。カッコつけたままじゃ抱きあえない。あの少女たちと。女たちと。目を瞑ったアキラの口元が小さな笑みで歪み、すぐに彼は眠りの淵へと滑り落ちていく。

人は彼を、バーチャファイターと呼ぶ!

 

愛がたりないぜ

リバーズ・エッジ

f:id:msrkb:20160725032941j:plain

 

とある祭りを覗きがてら、近くの川縁を散歩。土曜日夕方近くの橋のたもとには、Pokemon GOをしている高校生グループ、スケスケの白いジャージを着て異様にゆっくりストレッチしてる中年男性、下半身丸出しで岸辺に佇む真っ黒に日焼けした老ホームレスなどがいて、そこそこ賑わっていた。

 

f:id:msrkb:20160725033224j:plain

f:id:msrkb:20160725033358j:plain

少年ハリウッド

録画して2年ほど寝かせておいたアニメ『少年ハリウッド』を見た。舞台公演回まで。原作(最初の舞台のやつ)とは全然違ってえらくリリカルな、主人公たちの心情に細く寄り添う話なのね……。

そして舞台公演回は、あのてのまだブレイクしてない若手イケメン俳優を集めてやるタイプの演劇公演(2.5次元ミュージカルとはまたちょっと違う)のあの雰囲気をかなり忠実に再現してて良かった。