NGM+その他の欲望

日々のサムシングについてのスクラップブック。

シン・エヴァンゲリオンを見に行く

9年前。

明日から『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』が始まるわけだが、俺は今週末には見ないつもりだ。なぜとっとと見に行かないかと言えば(中略)ごめん嘘。いろいろ言い訳みたくダラダラ書いてきたけど、ほんとはヱヴァQというかエヴァンゲリオンに対して、できれば今の世間の喧噪の中で向き合いたくないからなんだよ……独りで見て、独りで受け入れたいからないんだよ! 35歳にもなってめんどくさいアレなんだけど、こればっかりはしょうがないんだよ! だから俺はこの週末は野火ノビタの同人誌を読んで過ごすよ! ごめんな!

 

今のところほとんど完璧に情報を遮断している。直接の感想はもちろん、ヱヴァQに関する界隈の雰囲気自体どうなっているのかまったく知らない状態だ。何も知らない。
とりあえずTwitterRSSリーダーはてなアンテナなど「偶然目に入る」危険性のあるものはこの一週間ほとんど見なかった。モニタ上で「ヱ」もしくは「エヴ」あるいは「エバー」という文字列を認識した瞬間に視線を斜め上に移動する術を身につけたし(つまり最悪三文字以内に回避)、そもそもスクロールホイールを回すときは三白眼になって周辺視野でテキストをサーチしていたのだった。今年35歳なのに。三白眼でホイールきゅるきゅるいわせてた。あと通勤時など人の多い場所に行くときは常にイヤフォン。たまっていたPodcastの消化がはかどったわー。(中略)これくらいやっていると、なんかもうこの世界にはエヴァンゲリオンなんて存在しなくて、俺だけがその存在しない何かについて心かき乱されているような気分になってくる。だがこの時を待っていた。そろそろいいだろう。もういいだろう。もう俺は映画館に行ってもいいだろう。

 

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』に臨むにあたって、まったく同じことをやっている。3月8日の0時から一切Twitterを見ず、ネット全般見るときも画面の中央から目をそらして周辺視野で見るようにしている。在宅勤務中心、出社は週一か二というのもあって近所のコンビニやスーパーに買い出しに行く以外は家からほとんど出てないし、時事ニュースとかトレンド情報的なテレビもラジオも視聴してない(3/8以前に放送したものの録画とかPodcastばかり視聴してる)。

その結果として、シン・エヴァンゲリオンなんてこの世に存在しないかのような気分になっている。だって誰もエヴァについて何も語ってないしさ。そんなことなんてあるだろうか。シン・エヴァンゲリオンが公開されたってのに、誰もそのことについてなにも話してないなんてさ……。でもタイアップキャンペーンとかで街中の普通の店にレイとかアスカとかの等身大ポップやポスターが貼られているのを見かけると、ギョッとするんだよね。たまの出社の日の朝は会社に着くまでにだいたい3回くらいギョッとしている。

9年前は

なんかもうこの世界にはエヴァンゲリオンなんて存在しなくて、俺だけがその存在しない何かについて心かき乱されているような気分になってくる

という境地に至ったが、あれから俺も年を重ね、さらに先の領域に到達したことをひしひしと感じている。人の進化に限界はないのだ。つまり、この世にはエヴァンゲリオンなど存在せず、そしてまた、であるからこそ、この俺の中にもシン・エヴァンゲリオンなぞまったく存在しないのだ。この認識が完全に定着した。事ここに至り、真にフラットな気分で立ち会うことができるように「成った」と言っていいのではないか。

すでに本日の上映の座席を予約している。あと数時間だが、俺の心は凪いでいる。今朝起きたときには、もういっそのこと、見なくてもいいんじゃないか、俺はもう、別にエヴァンゲリオンなんてどうとも思ってないんじゃないか、という気分にさえなった。

 

予約投稿されたこのエントリが公開されるころ、俺はまさに『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を見ている。

『おんぶおばけ』のオープニングテーマはすごい

妻が何かの話の流れで「あれだ、おんぶおばけみたいな……」というようなことを言うので、何だそれ、子泣き爺みたいなものかと思っていたら、まあ妖怪の一種ではあるんだけど水木しげる絡みというわけではなく、そういうタイトルのアニメがあったらしい(皆さんはご存知かしらん?)。

なにそれ! 俺は今まで一度も聞いたことがない! そんな変なタイトルのアニメがあるのか? と驚いていたら、YouTubeにあったオープニング映像を見せてくれた。1972年放映のTVアニメで、『フクちゃん』の横山隆一原作なのか、なるほど確かに絵柄が横山隆一だ……と思いながら見てたら、いかにも70年代の子ども向けアニメの主題歌然としたメロディに、突如として狂人の奇声のような歪んだギター? シンセサイザー? が被さる超アヴァンギャルドなものでマジでびびりました。なんだこりゃ。

 


おんぶおばけ OP

 

主題歌フルVer.


1972 おんぶおばけ・主題歌

 

『おんぶおばけ』主題歌を作曲した三保敬太郎はジャズピアニストやレーシングドライバー、俳優、監督の経験もあるというなんか異色の作曲家・編曲家で、なんと「11PM」のあのテーマ曲の作曲者でもある、というのを調べてほえーと思いました*1

 


1965~ 11P


11PM (東京イレブン) 最終回のオープニング

 

11PM」は最後の半年くらいをギリ見てた(その頃の自分の年齢的にあまりよろしくない番組ではあるが、ちょうどその時期に自分の部屋にお古のTVが設置されたのだ)。東京イレブンより大阪イレブンのほうがなんか面白かったような気がするんだが、「トゥナイト」とごっちゃになってる気もする。映画コーナーで田山力也が出てたのって「トゥナイト」のほうだっけ? 「11PM」の枠の後継番組である「EXテレビ」はかなり見てたなー。

と、初めて知るものからいろいろなものを思い出したりしました。何を見ても何かを思い出す。

 

11PMのテーマ

*1:と、書いたが、あの「11PM」の……と言っても今はもうほとんど通じなくなってるかもしれないな。

『ヴァスト・オブ・ナイト』/……何かが空を飛んでいる!

ヴァスト・オブ・ナイトのワンシーンのスチル

Amazon Prime Videoで『ヴァスト・オブ・ナイト』を見た。Amazonオリジナルでの配信だが、元はスラムダンス映画祭に出品されたインディーズ映画で、それをAmazonが買い付けて配信+アメリカではドライブインシアターでの限定上映ということのようだ。

1950年代終わりのある夜、若き電話交換手のフェイと人気ラジオDJのエベレットはニューメキシコで不思議な周波数の音を耳にする。それは彼らの小さな町と未来を変えてしまう可能性を持つものだった。

Amazon Prime Videoでの紹介から引用

粗筋からもわかるだろうし冒頭でストレートに『ミステリー・ゾーン(トワイライト・ゾーン)』へのオマージュを捧げているように、SF/ホラー/奇妙な味の短編小説風味のお話。50年代末のアメリカの片田舎を舞台にした「接近遭遇」もの、といった内容だ。

というわけでお話としてはごくごくありふれたものなのだが、これが初監督作のアンドリュー・パターソンはかなり才気走った語り口で見せていく。

とにかく登場人物がのべつ幕なしに喋りまくり、空に飛んでいる「何か」について意味ありげなタレコミや告白がラジオ局の電話に舞い込む。ほぼ映画のランニングタイムと同じ時間(90分)の一夜の小さな出来事を、技術的に若干不安定なのが逆に不穏に感じる夜間撮影(あるいはそれも計算のうちか)と長回しで紡いでいく。そのリズムが実にユニークだ。

特に年の離れた主人公コンビ(田舎町でちょっとくすぶってるけど地元の人には人気のディスクジョッキー中年男と、電話交換手のバイトをしている女子高生)が延々とたわいもない日常の会話をしながら移動する冒頭のシークェンスは素晴らしく、ジャンル映画を見ているつもりでいたらジャンルのクリシェの語り口とは明らかに異質なものを急に見せられて意表を突かれるという「ジャンル映画を見ているときに最も楽しい瞬間のひとつ」を味わうことができる。

50年代の地方ラジオ局DJブースや電話交換台の描写も魅力的で、序盤の電話交換台の前で徐々にサスペンスが高まっていく長回しのシーンは、アルバイトの女子高生役シエラ・マコーミックの演技と相まってとても良い。こんなに電話交換台がフィーチャーされるサスペンス描写は『暗闇にベルが鳴る』以来じゃないだろうか。

とまあ、全編にそういった場面が頻出して、つまりこれ、ジャンル映画の典型的な題材を、ジャンル映画の枠内から微妙に逸脱したナラティブで描くという、いかにも若々しいインディーズ映画という感じに仕上がっている。感覚的な話になるが、ヒューマントラストシネマの毎年恒例「未体験ゾーンの映画たち」特集上映のラインナップの中にひっそり入っているようなイキフンの、ちょっと拾いものの一本だった。

 

さてこっからは映画本編の感想とは微妙にズレる話だが、本作で個人的に最も感心したのは、いわゆる「接近遭遇」ジャンルをかなり意識的に純「怪談」映画として描こうとしているところ。つまり誰かが「怪談を語る」シーンをメインの見せ場として全体を構築している映画であるということだ。それは映画の前半と後半にそれぞれ別の人物による、長い長い告白として描かれる。その間、映画はほとんどカットを割らず、その告白をする者と聞く者、その語りが成される場を、まるでその語りそのものによって暗闇の向こう側から「何か」がこちらへ実体化するのではないかという予兆をはらんだ、明らかに他のシーンとは違った手つきで描こうとする。

たぶん直接的な影響関係があるということではないだろうが、ここで私が連想したのは『霊的ボリシェヴィキ』だった。この2本にはある種のシンクロニシティがあると思う。ここで本作を『霊的ボリシェヴィキ』とのシンクロニシティから武田崇元経由でオカルトの文脈で語るような感じのレビューは探せばきっと誰かが書いているだろうけど、まあ俺には手に余る。

 

閑話休題。というわけで『ヴァスト・オブ・ナイト』はちょっと拾いものの一本でした。会話が多いけど字幕が若干こなれてないので、吹替での視聴をお勧めしたい。字幕版と吹替版が別々に用意されているわけではなく、再生中に切り替える形なので注意。

 


THE VAST OF NIGHT Official Trailer (2020)

 

ヴァスト・オブ・ナイト

ヴァスト・オブ・ナイト

  • 発売日: 2020/05/15
  • メディア: Prime Video
 
霊的ボリシェヴィキ

霊的ボリシェヴィキ

  • 発売日: 2019/06/05
  • メディア: Prime Video
 

『さらば愛しき人よ』('87)の佐藤浩市

寝る前にYouTubeをダラーッと見てたら、レコメン動画に若い頃の佐藤浩市が写ったサムネイルが混じっていた。おやこれはと思って見てみると、原田眞人監督/郷ひろみ主演の新感覚(?)ヤクザアクション映画『さらば愛しき人よ』('87)からのクリップ。

佐藤浩市郷ひろみの弟分役の木村一八と対峙するシーンで、佐藤のアクの強いキャラクターと「チャカとだんびらどっちが強いと思う?」「タラッタラッタらったうさぎのダンス」という台詞が印象的な場面だ。

どうもこの動画が密かにバズってるらしく、再生数とコメントがじわじわ増えているっぽい。僕が初めてYouTubeで見たのは7月7日あたりで100万再生を越えたくらいだったが、今(7/15の深夜)見たら200万再生を超えている。何かきっかけがあってバズっているというわけではなく、レコメンに上がってきて初めて見て、そのままなんとなく気になって何度も見てしまうという人が多いらしい。

コメントを見てみるとASMR文脈で何回も見てしまうと言っている人がいて、なるほどといった感じ。確かにこの佐藤浩市の芝居、ほとんど囁き声の潰れ声で常にニヤついてるこの感じは、ASMR味が強いと思う。原田眞人のキレッキレのカットワークと画面レイアウトもあって、何度も見てしまう気持ちはわかる。

 

さらば愛しき人よ』は今、国内ではソフトも配信もなく、見るには北米版のDVDを買うしかないようだけど、これきっかけでどこかで配信とかしてくれないかな。ついでに原田眞人つながりで『タフ』シリーズも配信しないかな。

さらば愛しき人よ/ Heartbreak Yakuza(北米版)(リージョン1)[DVD][Import]タフ PART I-誕生篇- [DVD]

M

これ、自分でもすっかり忘れてたんだけど、俺は学生のときに浜崎あゆみとちょっとだけ交流があって、浜崎あゆみのファーストアルバムリリース時の伝説的なプロモーション、渋谷タワーレコード入り口に設置された巨大ガチャガチャに全身に金粉を塗ったあゆがCDの山と共に一日閉じ込められるというあれ、あのプロモーションのとき、俺はイベント設営のバイトしててたまたまその現場に回され、巨大ガチャガチャの中の浜崎あゆみに1時間ごとにドリンクを手渡す係をやっていて、そのときに渡した紙パック入りの飲料(「僕たち飲むならピクニック!」というCMのあれ)のことは今でも妙に覚えているのだが、ガチャガチャの中に入っていた全身金粉を塗った女性が浜崎あゆみだったという認識はなく(当時はまだ浜崎あゆみも有名ではなかったので)、だがその後しばらくたってから、音楽誌のライターをやっていた先輩の手伝いで浜崎あゆみのインタビューに同席する機会があって、俺は件のバイトのことはすっかり忘れてたんだがインタビューの途中でデビュー時のプロモーションの話になり、突然あゆが俺を指差し、え、ピクニックの人じゃない? みたいなことを言って俺もやっと記憶が繋がって、あ! と言ったあと一瞬間を開けて2人でゲラゲラ笑うということがあり、まあ別にそれだけの話であれからもう四半世紀近くもたってそのこともまた忘れていたんだが、先日、在宅勤務で気が滅入って、いい天気だし気分転換に散歩でもしよう久しぶりに、と思って近所をぶらぶらしてるとき、石材屋の横を通りかかったら浜崎あゆみがいたのだ、マネージャーらしき女性と大きな御影石の墓石の前に立っていた浜崎あゆみを見て俺は急に四半世紀前のバイトのことやインタビューの席でのことを思い出し、あ、ご無沙汰してますとモゴモゴと挨拶したのたが当然のようにあちらは無反応で、まあそりゃそうだと、思いつつ石材屋会館に入って二階に上がっていく途中で例の音楽ライターの先輩に会い、久しぶり、今あゆのインタビューやってるんだよ、ロングインタビューで、毎週この石材屋でインタビューしてるんだ、今日で二週目だぜ、へーそうなんですか、じゃあ来週も来ますね、という会話をしたんだ、そう、俺は浜崎あゆみと昔ちょっと交流があったんだよなあ、交流というか接点か、まあ自分でもぜんぜん忘れてたんだけどさ、という話を、先日目が覚めてから15分くらい妻に話していた。俺は浜崎あゆみのことは詳しくないんだが昔こんなことがあってと話してる途中で、虚構と現実の皮膜が、境界線が曖昧になるのだという思いが強くなり、強くなった瞬間「虚構と現実の皮膜が、境界線が曖昧になるんだよねえ」と口に出していた。

 

A BEST