NGM+その他の欲望

日々のサムシングについてのスクラップブック。

「武器を持った手」をどうするか

 そろそろ安定したようなのでiTunesをアップデート。リニューアルしたiTMSをちょっと覗く。と言ってもiPod持ってないからビデオクリップを買うわけじゃなく、映画の予告編をいくつか見ただけだが。
 さて、ロック様が主演する『DOOM』映画版の予告編を初めて見た。うん、これはきっと駄作に違いない! そうだなあ、映画版『ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド』並みの駄作になってるんじゃないかと期待するよ。いや、『ハウス〜』の映画版本編は見てなくて、Xboxの『ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド3』になぜか収録されている予告編しか見たことないんだけど*1
 『DOOM』映画版の見所、というか原作ゲームファンへの目配せとしては、FPSを実写でやってるシーンがあること。例の一人称視点で武器を持った手だけが画面中央下部に表示され、迷路状のフィールドを高速で移動し、物陰から現れる敵を撃ち殺すっていう映像を、実写でやってるわけだ。予告編でもそのシーンが何度も登場するから、ちょっと試しに見てほしい。もちろんチェーンソーで攻撃するシーンもあるぞ(笑)
 で、まあ「こういうのを入れとけばゲームファンにもアピールできるだろう」みたいなやっつけ感がたいへん素晴らしい映像なんだが、やっぱFPSの映像を実写でやると変すぎるよ。たぶんステディカムの応用みたいな撮影方法なんだろうけど、あんな高速で走ってるのに画面(=視界)がほとんどぶれないってのはおかしすぎる。ゲームの映像ならそんなところは気にならないわけだが(現実どおりにぶれてたら酔いまくるだろうし)、操作できる「プレイヤー」じゃなくて映像を見つめることしか基本的にはできない「観客」にとっては違和感ありすぎなんじゃないか。
 これ、「武器を持った手」が画面に出てなければ、単なるステディカムの映像として(=登場人物の主観視点の「デフォルメ」表現として)観客はすんなり受容できるはずだ。でも、そこにゲーム的な記号としての「武器を持った手」を不用意に入れちゃったことで一気に実写としての基本的なリアリティが崩れてしまってるんだろう。
 あの実写FPSシーンってのは、「映画の映像」と「ビデオゲームの映像」がコンフリクトを起こしている。操作できないのにゲームの記号を入れてしまったものだから、我々……少なくともゲーム版『DOOM』をプレイしたことがある我々……は、その映像を「身をゆだねてじっと見つめるもの」として見ればいいのか「操作可能なもの」として捉えればいいのか、よくわかんなくなってしまう。もちろん映画なんだから操作はできない。でも「映画の映像」として受容するにはちょっと唐突すぎる。百歩譲って視界がぶれないのには目をつぶるとしても、武器を持った手まで画面中央にしっかり固定されてるってのは、やっぱこれ、下手糞なギャグにしか見えないよ。いや、実際ギャグなんだろうけどさ。


 でも、例えばあと何年か先には、この映画版『DOOM』のFPS風シーンとほとんど同じクオリティのグラフィックを持ったFPSが出てくるかもしれない。そんなとき、我々はプレイヤーはその映像を「ビデオゲームの映像」として認識できるんだろうか。
 もちろん、グラフィックの進化と連動してビデオゲームの文法も拡張・発展されるだろうから、フォトリアリスティックなグラフィックをとことんまで追求しようとするゲームにはそれに見合った(映像の「リアル」とコンフリクトを起こさない)文法が発見されるはずだ。その逆に、拡張・発展した文法に見合った映像が発見されることもあるだろう。
 だが、グラフィック進化の一種のベンチマーク/デモとして見られることが多いFPSや、あるいはレースゲームなんかは、ゲームの文法的にこれ以上ドラスティックな拡張・発展が望めるだろうか。ほとんど映画と見分けがつかない映像の中で、あいかわらず武器を持った手が画面中央に固定され、移動しても視点のぶれがほとんどないという状況で、我々は「プレイヤー」と「観客」のあいだで自我を引き裂かれたりしないだろうか。どうなんだろうか。
 いや、実際には、そうなったっとしてもけっこう簡単に慣れそうな気はするんだけどね。プレイヤーの環境適応能力は高い。我々はいつだってそうやってサバイブしてきたはずだ。

*1:Xboxの『ハウス〜』が出たときはまだ日本での公開予定はたってなくて、それどころか米国でも劇場公開の目処がたってなかったはずだ。結局、つい先ごろ日本でもごく短期間公開された。ゾンビとのバトルシーンで、カメラが人物を中心に高速で360°ぐるんぐるんと回転するという頭悪い特殊撮影だけが印象に残った予告編だった。